未知日記   第十一巻   絶対界   第二章    テツシン貴尊講義   2021.02.26

未知日記   第十一巻   絶対界    神霊界   テツシン貴尊講義   2021.02.26


 自然の大道を認知して偏らず、横道に迷ふことなく正しき方向に足をむけなば、至るべき処に到達するは、当然にして道は開らかれあるが故に、唯歩みを持続し居らば安全なるべし。余事に耳をかさば却て迷道に引き入れられて、至るべき処の方向をあやまつこと多し。慎まざるべからず。我説も横道に入りたり。もとに復すべし。今も語りし如く裸体にて闊歩出来る底の位置に迄、到達するにあらざれば、すべてを空に帰したりとは云ひ難し。今慈音は一輪梅花に囚はれて心を引かれつつあるを見ても知らるる如く、梅花は衣を纏ひ居るにあらず。裸体にて闊歩なし居るにてはあらざるか。ここに眼を向けよ。かぐはしき匂とは鼻によって見る姿なるべし。即ち匂によって心の眼は向けられ居るが故に是にひかるるなり。肉眼に任せなばその匂の姿を見ること難からん。梅花にむけたる肉眼は又美はしと見るならん。梅花にして斯くの如し。まして人間ならば裸体にても斯くの如くあり度きものなり。釈迦もキリストも尚今匂を残して、多くの人をひき入れ居るにてはあらざるか。修養修行の何なるかは諸子も大抵認知なし居るならん。この世をはなれて姿なき匂の未だ消え遣らざるが故に、諸子は是に惹かれてその美を賞賛なし居るもこれ又一種の姿なり。是等もこじつけの論説にて語るならば、姿として裸体のまま闊歩し居ると云ふも可ならん。
 霊空界の人類の如く衣を纏ふ間は、変化自在の法は行はるれど、其は一人一体にして他に分身することを得ざるなり。既に神霊界に至らば分身の法は自由になし得らるるが故に、己一人の姿を百千に分離して、その悉くをはたらかする事を得るなり。その理は職衣を纏はさるると脱衣するとの相違あるによってなり。霊空界の間は男女の区別あるによって、一方的に化せられて分身の法を行ふことを得ず。唯形を変へる法は行はるるに過ぎず。然るに神霊界に到らば絶対なるが故に、己が身を細かく分離して、百方に是をはたらかしむる事さへなし得らるるなり。斯る事は語るも益なし。依て詳しくは語らじ。兎に角斯る事すら行ひ得る底に化せらるるとのみ知り置かば可ならん。兎に角神霊界の覚者とならば一人の姿を分身せしめて、幾万幾十万のものを救ひ得る、力ありとのみ知らば可なり。是を分身法と云ふ。霊空界の人類は法力によってすべてを救ひ、神霊界の覚者は法力行力を一体化せしめて、世を救ふ力を備ふるに至りたるなり。霊空界と神霊界とは僅少の隔りの如く思はるれど、事実その隔りは格段の相違あるなり。

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