未知日記   第十一巻   絶対界   第二章    テツシン貴尊講義   2021.02.25

未知日記   第十一巻   絶対界    神霊界   そこに住む人類は己の身体を千万に分離し其々を働かす事が出来る テツシン貴尊講義  2021.02.26


 色ありと思ふも迷ひなり。なしと思ふも是又迷ひなるべし。例へば諸子は一室に座して遠く眼を外方に向けおれど、唯肉眼に映るものより動かさるる心の眼より他に、見ることあたはざるべし。然るにその座せる処に色あり。匂いあり。空の声あり。諸々の数々の何ものかがざわめき居るにはあらざるか。その座せる処に一個の機械を置きて開閉器を開らくならばそのざわめきが汝の耳に眼に映るならん。機械なくしては見ること聞くことあたはざるは、是未だ修養修行の力機械に劣る故なり。もし機械の力だけの程度迄向上なし居るならば、機械の要なくして感受することは至難にはあらざるべし。然しながら諸子の肉体の構造は、余りに数々の重衣を纏はされ居るによって、その多くのものを一々脱するにあらざれば、すべてを感受することを得ざることは、是又自然の法則によって作られたるが故なり。分に応じて定まるとは是を云ふなり。例へば空気の振動に於てすら、肉耳の限度を超ゆれば鼓膜が破壊されて、聞くことを得ざることは、是又自然の法則によって作られたるが故なり。分に応じて造られあることも、是又自然の法則によって造られたるなり。されどその不自由なる肉体の必要なきに至らば、すべては聞え、すべては見ることを得る霊智のそなはりがあるによって、修養修行の程度進まば居ながらにしてすべてを観察する耳目は、何処かに潜在なし居ることに留意せば、正しき神眼神耳が開らかれて明らかに見聞することも、自然の具備あるによってなしてならざると云ふことなし。諸子は理論にのみ走りて己の肉体に重点を置くが故に、一も迷信二も迷信として、己に解せざることは放棄なし居るにてはあらざるや。迷信と思ふならばその迷信の理由を明らかにして後に是を捨つべし。諸子の世界は余りに複雑なるが故に心に傷くこと、又意に介せざること多からん。其が一々に対してすべてを究め尽すことの至難なるは、実験の伴はざること多きに基因すれど、其を一つの真理を発見して其によって事に当らば、却てその理を究むること安かるべし。肉体には余りに数々の重衣を纏ひ居るが故に、そこに迷信妄信の生ずることも多からん。仏教者が何事も因縁と一言にして是を明らめさせ居れど、諸子はその因縁と云へることに対して、尚も深く追及してきはめんとするが故に、その虚に乗じて悪辣なる宗教者がはびこりて、尚も一層諸子を惑はす故に、混沌として何処に信を置くべきやに迷はさるることも多からん。余りに枝葉に囚はれ居りては却て、根本をあやまち傷くること多かるべし。根本をあやまてば幹も共に枯るる憂ひあらん。慎むべきことにこそ。

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