未知日記   第十一巻   絶対界  第二章   神霊界    テツシン貴尊講義2021.02.25

未知日記   第十一巻   絶対界   第二章    テツシン貴尊講義   2021.02.25


 さりながら斯る事を蝶々語るともそは無駄口にすぎず。労して功なき結果となるによってかかる説は語るも詮なし。我等は嘘言を以て諸子を欺くものにあらず、唯見聞したる事実を披露なし居るなりと知るべし。所謂智慧の程度によって肉体の形は定まる。蟻は蟻の智慧によつて蟻の肉体あり。人も亦然あるなり。智慧を有せざるものにして生を持続し居るものは、これ又それに対して同様の姿をそなへ居ることも考へざるべからず。
 例へば諸子は名も知らざる草を手にしたる時、香をかぎ形をながめ是は食に適するや否やを舌にて味ひ、然して是を食むこともあらん。又是を毒ならんとして捨つることもあらん。斯くの如くすべてはその性に従ひて姿を現はし居る点より、種々様々の毒とか薬の発見なしつつある事は、野蛮時代の人類よりの習慣なりしなり。然るに現在はいささか学理より是には何々分の含まれ居ると云ふが如き程度より、更に新らしき薬物を発見して人類の為にそなへ居れど、もし其等の生物なかりせば毒と薬の発見はなすこと難からん。然るに其等のすべてを造り出したるものは、誰なるかと云ふ事に迄、智慧をのばし見よ。是を発見せんとならば、すべての根底に立ち返へりて、理を究むるにあらざれば判明せざるべし。智慧には限度なし。其程度に従ひて肉体の組織も異なると云へる関係を、すべてのものを比較して考察なすならば、何かそこに新らしき想像力をのばすこともなし得らるるならん。然することによって更に又、新らしき発見をなすこともなすならん。我等の説を聞きてその机上の空論と思ふことより、何か諸子の生活に必要なる新発見をなす材料として聞くならば、空論も亦実論に化する利益とならんと思ふが如何。
 余事は兎に角すべてのものは空より出でて、空にかへるは当然にして、その理は察せられるならん。霊空界の人類は空海に育ち、上陸して職衣を纏ふ。然して任務終りて神霊界に引き上げらるるに至って、ここに始めてその衣を脱ぐ。脱衣すれば即ち本来にかへりて空となる故に、神霊界の覚者は皆悉く裸体なり。一糸を纏ふにあらず。清浄無垢と云ふは覚者界のの姿なるべし。諸子は裸体にて大道を闊歩するや。諸子の肉体はあまりに醜し。裸体にては到底闊歩することあたはざらん。覚者界の位置に至りてはじめて美の姿と変ぜらるるによって、垢づけるものを纏ふの要はあらざるなり。仏教者は色即是空と称へ居るが故に、白色を以て根本の色と思ひ居るは誤ちなり。白色と云ふも色あり。未だ空にはあらざるなり。即ち白色黒色は無彩色にして帰するところは色を有す。色なき色にあらざれば空にはあらず。色なき色を見る眼識を有するものにして始めて正しき色を知る故に、修養修行の至らざるもの焉んぞ真の美を知ることを得んや。

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