未知日記   第十一巻   絶対界  第一章  霊空界(但し二流界のこと)   テツシン貴尊講義2021.02.20

未知日記   第十一巻   絶対界    第一章   霊空界について  テツシン貴尊講義    2021.02.20


 例へば世人は物事に対して働かせ居る智慧は、何処より来りたるや心を働かせ見よ。汝の心に一つのものの感じ来る時、その感じが言葉となりて表面化なしたるは、其は肉体組織の力なれど、言葉に組織さるる迄の智慧は何処り如何なる経路にて、肉体に侵入し来りしかと云ふ事に至っては、その源を突き止むることあたはざるべし。智慧は何処より来り、何処に去るや。是を学理にて研究すとも、未だ適確なる理論は成立なし居らざるべし。絶対性原理を認識したる人なれば、その法則より考究せば、是等の事柄を明らむることは容易なり。円周を二分して角に化せしむれば相対となる。故に相対とならばその自然にはへだたりを有するが故に、密着することを得ず。密着せずしては絶対化することは難し。故に相対自然は完全無欠にはあらず。諸子の世界の融和せざるは即ち、相対自然の応用なるが故に完全なる平和は望まれざるなり。されば絶対自然とは如何なるものかにまなこを向けよ。諸子の世界は余りに有形を旨として、その方向に囚はれ居るによって、すべてを有形化せしめんと計る如き自然を聯想するによって、無形の方向より遠ざかり行くなり。所謂丸き木を切りて四角の柱を作製と同様の方向に、向ひつつあるによつて望みは達し難し。汝等の心は否魂は丸木にして、肉体は角柱に等しと考へて智慧を働かせ見よ。円周には始終を明らむること難けれど、角は始終を定むること容易ならん。智慧と肉体の関係は斯くの如し。ここに絶対と相対の区別あるなり。同じ円周に於ても無限と有限の区別あらん。角に於ても亦同様なり。有限測定はなし得らるれど、無限測定はなし難からん。無限より有限を作る理は、諸子も推知するならん。されど有限より無限を測定する方法は、唯観察力を延すのみにて想像にすぎざるべし。自然と大自然の相違はここにあるなり。
 所謂人の神を知らざるは無限性なるに依ってなり。例へば蜂には蜂の世界あり。蜂は人を知らざるべし。蜂の眼より人を知ることはなし得れども、人とは如何なるものかに関して、智慧にては測定すること難からん。然るに人はその蜂の世界を脅かして、彼等の食物をすら奪ひ取りて平然たるは、何と云ふ無慈悲なることぞ。されど蜂は何も知らざるが故に、人を恨まずと思ふや。然らざるべし。一朝脅かさるれば防禦するにてはあらざるか。もし蜂に智慧ありて波知り進化して、軈て天界に至らば安楽鳥となる素質を有すと云ふことの理を、彼等に於て知るならば、彼等と雖も早くその居に至らんと願ふなるべし。さりながら彼等はかかる事は知らざれども、己が本分をかたく守りて唯命ぜらるるままに、使命を果しつつあるによって次第々々進化なして、果は安楽鳥の域に達す。然してその後は又も次第に変化して軈ては、人類界に迄到達することあるやも計られざるなり。是は年月に通算すれば何百憶年かの後なるべし。されど其は汝等の世界の通算にして、絶対界より見る時は決して長きにはあらざるなり。是は比喩にして事実にあらず。霊空界に飛翔し居る安楽鳥は汝等が世界の蜂に似たるを以て、我は比喩に用いたるにて事実にはあらざるなり。さりながらそは事実なるやも計られず。神の作り給ひしことは我等知るよしもなきが故に譬喩として語りたれど、もし神にしてその心あるならば必ずやなし得らるるはことの当然なることを知るによってなり。蜂は人間となるとは夢にも想像せざるべし。されど人間は何か前途に希望を持つが故に、進化論より人間界をはなるれば、前途は何なるやとの観察力を有し居るにてはあらざるか。人間は人間としてその界の最高として、其以上の進化をなさざるものなれば余りに低きものにてはあらざるか。

×

非ログインユーザーとして返信する