未知日記   第十一巻   絶対界  第一章  霊空界(但し二流界のこと)   テツシン貴尊講義2021.02.18

未知日記   第十一巻   絶対界   第一章  霊空界
テツシン貴尊講義  
2021.02.18


 汝の生命は光陰に移されて暫くも静止することなけれど、汝に架せられたる汝は永久不変なるが故に変化するものにあらず。光陰に移さるるとは相対性なるが故なり。されど変化して其居に安んずることを得ずとも、絶対性は何処に置かるるとも同様にして、変化なすものにあらず。さりながらその変化なき汝の姿にも、或一種の力が加はりて拡大せらるるが故に、同じ絶対に於ても相違あるなり。その相違は筆舌の及ばざるものにて、是を無言詞絶対と云ふなり。此無言詞絶対については、教主の教へによって会得理解することを得るならん。そは後のことなり。ここにはその説を省略すべし。兎に角無言詞絶対とは、絶対の根本を云ふにて汝等の肉体に及び居る絶対とは、即ち枝葉に属する絶対なりと思ひて我説を聞かば可ならん。例へば太陽系宇宙の太陽を絶対と見るならば、その太陽によって保たれ居る地球或は他の遊星などは、其太陽の恵を受けて保たれ居るによって、太陽の力が加はり居ると同様の関係と思ふも可ならん。さりながら是は譬喩に過ぎず。太陽は絶対にあらざるが故なり。唯比喩として諸子に会得せしめんが為に語りたるにすぎざれば、深く追及すること勿れ。人間界の絶頂に達したる霊空界は、是を一言にて云ひ表すならば、即ち智慧の世界とも見なすことを得るなり。故に此世界は半絶対にして、半相対の位置に置かれありと知るべし。
 所謂人間の絶対とは即ち親なるべし。故に親を絶対として考ふる時は親、別れて父母と云ふ相対に化せられる理も想像することを得るならん。父母一体となりて親と云ふ絶対に化せられ、此所に初めて人類の全きを得るなり。されば親別れて父母、別れて子孫の相対へと、枝葉に広がりてはてしなく繁茂しつつあるも、帰するところに父母の相対が一体化して親となりたる、絶対の現はれなるべし。されば絶対即相対、相対即絶対の理論は、理屈にあらずして道理に合ふと云ふ結論とならん。もとより斯ることに関して頭を悩ますの要もなからん。されど理解力を拡大せんとならばかかることの理も知りおくは無益にもあらざるべし。
余事は兎に角として絶対に関しての理論なるが、絶対として何事もなし得ざる絶対ならば、其は休止絶対にして無用のものに属す。全宇宙は一として無用のものあらざるが故に、休止絶対にあらずして、動化絶対なることに考慮を払ふべし。相対世界は危険を伴ふ。即ち相対は組織と破壊が、互に持続し居りて為に危険性を伴ふ。されど絶対界に入らば、すべては組織性なるが故に、安全に危険を伴はざるなり。霊空界の人類はこの絶対理論に基きて進化したる故、永久安楽に生存なし居ることと知らば可ならん。

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