未知日記   第十一巻   絶対界  第一章  霊空界(但し二流界のこと)   テツシン貴尊講義2021.02.17



未知日記   第十一巻  絶対界   霊空界   テツシン貴尊講義   2021.02.17


 即ち畜生は畜生として永久不変ならば、彼等は絶対その苦患を度脱することあたはざるべし。然りとせば彼等は終生畜生より進化すること難からん。人間に於いても亦然り。苦むものは永久の苦を離るる事を得ずして、はてしなく苦み悶へ、何等施す術を知らずと云ふが如き事あらば、宇宙の自然は混乱するのみにて、永久安きに置かるる事難しとの考へを起すならん。苦むものは苦み、楽むものは楽みて生涯否永久不変ならば、かかる不公平なるものを絶対自然として、神は造り給はざるべし。さりながら絶対としてその一々を取り扱ふならば、根本原理は一より出でて又一にかへる故に、個性は永久不変にして変化するものにあらず。
 例へば空気の中に含まれある酸素も窒素も水素もその悉くは不変なり。されど是等は結合してその作用を変化なし居る如く見ゆれど、酸素は酸素なり。其は窒素にあらず。是を絶対と云ふ。此事柄より更に考へを進むれば絶対のみにては宇宙は保ちがたし。故にここに相対の必要あるなりと思ひ廻らすに至るならん。所謂絶対より相対へ、更に複相対へと進むることによって変化を与ふるが故に、すべては組織もされ又破壊もさるるなりとの事に気附くならん。例へば諸子は畜生を手なづけて意の如く、己が欲するがままに使役することを得れども、その畜生の本質を改めしむることは至難なるべし。我子を育つるにも亦同様の関係あらん。諸子は仮に我子を幾人か育つるにあたり、皆其々に有する個性を教育の程度によって、変化せしむることはなし難からん。教育とは彼我の対照なるが故に、交はりて変化すれど、個性は絶対なるが故に、曲ぐることはなし難し。この理は諸子も体験なしたるならん。絶対不変の理は斯くの如き関係ありと知るならば、ここに教育の方法等に何か新らしき工夫を凝して、一大発見をなしては如何? 是には絶対自然の法則を知るにあらざればなし難からん。絶対自然の法則によって個性をひきのばす事は難きにあらず。先に語りし瓜の蔓(つる)に茄子を実らしむるとも、個性は変化するものにあらずとの理由より考察する時は、其個性を全からしむる事によって、始めて個性の特性は発揮して大なる働らきとなる事に心せざるべからず。要は此処にあるなり。

 霊空界の人種は既に絶対自然の法則に従ひて、すべての事柄にあたり居るため、諸子の世界とは全くその趣きを異にす。複々相対に置れある諸子は、肉体の交はりによって子孫の繁栄を計り居れど、霊空界の人種はかかる必要を感ぜず。霊気の交はりにて意の欲するがままに子を儲くる事もなし居るなり。肉体の交はりにては男女の区別すら意の如くならざるに引き換え、霊気の霊気の交はりならば男子をつくらんとならば意の如く是をなし得るなり。

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