未知日記   第十一巻   絶対界  第一章  霊空界(但し二流界のこと)   テツシン貴尊講義2021.02.17

未知日記  第十一巻   絶対界  第一章  霊空界  但し二流界の事  テツシン貴尊講義   2021.02.17


 先にセイキョウが語りたる二流界(仮称霊空界)のことについては、既に諸子もほぼ諒解なし居るならん。人類の極致に達すればかくの如き程度迄発達なすことを語りたれど、此処は人間界の極致にして、所謂相対界なるが故に絶対にはあらざるなり。諸子はこの所迄到りなば人間としての最後の場所なれば、是を絶対界と思ふならん。されど是は極致にして今後此界を今一歩進むことによって、絶対界に入ることを得るなり。
 水には水としての個性あり。その個性が終始変化することなければ、即ち是を絶対と云ふにて、その個性が様々の対象物によって変化せらるるを、相対関係と思はば、相対と絶対の区別を明らかに知ることを得るならん。即ち是を人間にとりて考ふる時、男女の区別あるは是相対にして、男女の区別なき人とならば、其は人としての個性にかへりたるが故に、是を絶対人と名づくるも可ならん。所謂人別れて男女となるなり。故に合して人とならば、始めなく終はりなき人として本分に立ちかへることを得るが故に、是は絶対となる事の理より、物事凡てを考ふれば頷くところあるならん。もし人として定められたるものがその個性を失ひて、他の動物に転落したる時此場合を考へ見よ。転落せしめられたる人と云ふ個性は、動物の中に含まれたりとせば、即ち人と動物との相対関係となるにてはあらざるかに思ひをはせよ。人が他の動物に宿りたりとて、人と云ふ個性を持続し居る以上、人としての悩みは失はれざるべし。是絶対理論になるが故なり。是と反対に動物の個性を有するものが進化して、人間に移されたりとするならば形は人間なれど、個性は動物の流れを有するにてはあらざるか。是等に関してテツシンの説を聞く以前に先づ世人は静かに考慮を廻らしてみられ度し。個性が絶対にして変化するものにあらずと聞かさるれば、人間は如何に進化すとも終始人間として絶対にをかるると思ふならば、是を動物にとりて考ふれば動物は動物としての個性を永久失はれざるが故に、絶対として取り扱はるるとせば、ここに諸子は何等かの名伏すべからざる感想を抱くならん。

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