未知日記  第十一巻   絶対界   第一章   霊空界  不滅母霊子について  テツシン貴尊講義 2021.02.17

未知日記   第十一巻   絶対界   第一章    霊空界不滅母霊子について   テツシン貴尊講義2021.02.17


 基礎的絶対より、中途絶対、結果絶対と、絶対の連続なるによって全宇宙は不変なり。されど宇宙のみの絶対は、中途自然の法則によって作られたるものなれば、即ち中途絶対の部に属す。故に此自然に従へば相対関係は免がれざるなり。所謂宇宙は中途自然の法則を現はし居れど、この自然を今一歩進めて全宇宙の大自然に帰せしめずば、正しき絶対とはならずと知るべし。宇宙の自然も大自然より現はされたるものならば、自然より大自然に入ることは至難にはあらざるなり。基礎的絶対とは、原始時代の野蛮人を聯想するならん。然して結果的絶対は神の世界を聯想するならん。其は世人の智慧の程度によって、如何に考ふるも差支へなし。学者は学者として又新らしき智慧をはたらかすならん。宗教者は宗教者として又一段の工夫もあらん。考へかたは如何あらんとも其は諸子の智慧の程度にまかすべし。兎に角テツシンの説を聞きて其ままに受け入れて工夫するならば、絶対界の説明を聞きて理解すること易かるべし。兎に角智慧のはたらきを強うせよと奨むるものなり。
 原始時代の野蛮人が諸子の先祖なりと思ふ時、その野蛮人が我等を産みし幾代か以前の親なりしと思はば、現代の我と比較して考へを廻らす時、今後我等が産む子孫が如何に変化し行くかかに思ひを廻らさざるべからず。野蛮人として嘲り嗤ふ諸子の先祖は、斯くありしと聞かささるればここに何かの考へを起ざざるや。今後諸子が残す子孫に対しても亦何かの考へを起すならば、そこに一種の云ひ知れぬ新らしき想像はおこるならんとテツシンは思ふが如何!。汝は賢者なり。汝を産みし親は賢者なりしか。又汝の子は賢者か愚者かに思ひをはせよ。汝賢者ならば汝の親を愛するならん。汝、愚者ならば汝の親を憎むならん。汝の子賢者ならば汝は子を愛するならん。汝の子愚者ならば如何! 我、多くは語らじ。諸子の考へに任すべし。現代の世相は如何。混沌たる日本の現在に対して如何に考ふるや。再建せんとするか。はた又破壊せんとなすやは諸子の心委せなり。再建せんとして破壊へ破壊へと方向を向け居ることを我等はよく知る。

 斯くの如きは絶対自然より遠ざかり行きて、相対或は複相対自然を用い居るによつてなり。即ち複相対、複々相対自然に於ても、絶対自然の血が流れ居るによって、従って或は是となり或は非となるも、是みな絶対自然の流れの威徳に浴するが故なりと思はば、絶対自然が如何に偉大なるかを知ることを得るならん。全宇宙にこの組織なくんば、動静はもとより凡てのものは、保存せられざることの理も推して知ることを得るならん。所謂絶対とは全宇宙の母なり。故に正しき絶対をテツシンは不滅母と仮に命名して語ることとせん。始めなく終りなきが故に不滅なり。故に始終不滅母と名づくるも可ならん。是を簡約して単に不滅母と仮称して語ることとせん。他に適当なる言葉あらば其に変へるも可ならん。兎に角テツシンは不滅母と仮称して語ることとせん。よって諒せよ。即ち無始終不滅母は無始終霊子を産むと知るべし。此両者は諸子の科学が如何に発達して、すべてのものを究め尽すことを得るとも、この両者を発見することは難し。如何なる巧妙なる顕微鏡を以てしても発見することを得ざる故なり。是等に関しての詳細は講を重ねて語ることとせん。兎に角絶対とは不滅母及び無始終霊子を措いて他にはあらざるなり。この両者は全宇宙のすべてを包含してもらさず、或は組織し或は破壊して絶間なく静止なし居らざるが故に、相対、複相対、複々相対に至る迄、及ばざる処なく通じ居ることを推して知ることを得るならん。

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