未知日記  第五巻   感応論   迷信及び正信感応について   テツシン貴尊講義

未知日記   第五巻   感応論   迷信及び正信感応について  テツシン貴尊講義


 自問自答を行ひつつある時に際しても心に乱れある間は正しき回答を得る事あたはず。心整ひてはじめて適確の回答を得るに至るなり。是迷信と正信感応に属するなり。迷信に陥るは危険を伴ふは理にして、正信を強くするは安全なるは筆舌を要せず。されど世には迷信正信の区を明らめずして、両者を混同して何れが是か非かにさえ迷はされて、却て正信を迷信として放棄し居るも少なからず。故によくよく是等の区別を明白に究めおく要あるべし。我心に迷ひを生じたる時は究めて後にあらざれば口外すべからず。壱度吐き出せし唾液は飲み込むことを得ざればなり。禍は口より出で幸福も亦口より来る。口は調法にして、又危険なるものぞかし。口数多き人は安危も亦おしなべて来ると知るべし。迷信と一言詞すれども範囲は広くして究むること難し。依て修養に必要なる点のみを語りおくべし。
 よく汝等が国に行はれある裸体参り或は裸足参り或は百度廻りその他是に類する祈願には少なからぬ迷信あり。斯る事に依て神に感応なし得ると信ずるは迷信なり。斯る事をなさざるも心直なれば感応あるは当然なり。貴重なる時間を空費して己が使命を果さず徒に世間をごまかす信仰ならば労して功なし。真の信仰は斯くの如きものにあらず。我は是等を排除するにあらねど真心のほとばしりにてなすならば迷信にあらざるは云ふ迄もなし。されど何処の神仏に裸体参りなさば、如何なる願望も成就すべし等との勧めに応じて行ふは愚なり。神前に裸体にては不敬にわたらざるか。堂の周囲を百度千度めぐるは如何なる意味なるか。誠に狂気の沙汰ならずや。斯る事をなすとも感応はあらざるべし。是等は信より出でし偽りにして迷信なり。世には比の例は、数あれど、理一なり。
 或聖者の許へ一人の若者、文を携へ来りしに、開らき見ればこの若者は粗暴にて貴人をも恐れず、神をも恐れぬ不逞の徒なれば、宜しく教訓を与へられ度しと云ふ。聖者彼を擁して友人の如くなして帰へしぬ。彼の若者、「聖者も我を恐れてもてなしたり。世に怖るるものあるべけんや」と、流言して益々たけりたち居るに、聖者に文を送りし人若者を伴い再び聖者を訪れたるに、若者は己が威武を聖者の文をつけし人に示さんと、傲然として足音あらく聖者の前に進みしに、聖者は以前と異なり厳然と控え居りしが、若者の態度を見るや大喝一声叱咤したれば、若者は度を失いて聖者の前に平伏したり。聖者は彼が無法を懇々と諭して門下に加へて改めさせしと云ふ話を聞き居れり。汝等は如何なる理由なるかを知るや。感応の意味には面白き例あるなり。
 最初聖者は若者に油断を感ぜしめをきしは再び来らんことを知りたればなり。若者の心は真に豪胆にあらずして附焼き刃なる事を看破したれば、その度を計りおきてかへしたり。再び来りし時は若者の心には油断するが故に、身体整はざる隙に乗じて大喝しければ、彼の気砕けて身をたてなをす余地なく平伏したるなり。此話は一聞他愛なく聞ゆれど感応論には迷信正信両用に通ずる講話なれば掲げたり。無法の壮者は迷信にして、聖者は即ち正信なるによりて、結果は正信に勝利を得せしむると云ふ理に合へり。信仰を厚くするは尊とけれども誤信迷信は早く打破して遠ざくべし。先に我等が汝等に欺かるとも信ずる力を強くすべし。欺く者に罪あるも信ずる者に罪なしと説きおきたるに、今ここに迷信は避けよと云はば一見矛盾したる如く感ずるならん。されど我の信ずる力とは疑ひの念を去りて、信は厚くする養ひをなせよと云ふにて、ものには理あるなり。非理を信ぜよとの教へをなせしにあらず。理非曲直を明白にして後、信じなば決して変ずる勿れと勧むるなり。斯る事を今更くだぐたしく語るも愚なれば省略せん。迷信正信の感応に依て神に通ずる正信を択ぶべし。

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