未知日記  第五巻   感応論   不明の感応   テツシン貴尊講義

未知日記   第五巻   感応論   不明の感応    テツシン貴尊講義   2021.02.11


  世の中の事柄には何によらず原因ありて、是を究むれば不明と云ひ、又不思議と云ふことあらざるなり。然れども此原因を究むる事を得ずして一言に不明不思議と称して棄却放棄することを敢てなすべからず。感応の中には随分この例多し。唯不明として終らするは、明日をも知れぬ人の生命のみなるべし。さりながら修行修養に長じたる人ならば、即ち知ることを得るなり。是は生死を全く明らむることを得たるに依て判明すれども、然らざる人は不明となるなり。その臨終の模様にも天寿を全うするは極めて稀にして、変死不意死自殺等の災悪を確知して、其が対策を講じ得る感応を的確に把握し得る底の業をなしとげ得る人も又稀なるべし。果してこの不明の感応を完全適確に把握することを得るやと云ふ疑問なり。何故なるかと云ふに、是には最も深き意味あるにて、汝等に説明するも容易に理解なしあたはざるべし。然れども次の例話を参照して大体を知りおくべき必要ありと感ずるに依て例話を語らん。もとより是は作話にて事実にあらず。
 始め神は人間を造りて天界におきて諸々の役目をなさしめて愛し給ひしが、智慧加はるにつれ増長して悪魔の毒舌に迷はされ、気儘の振舞をなすに至りたれば、深く誡め給へど聞き入れざれば、すべてを下界に下して処罰し給ひしに、人間は却て是を喜び下界を我もの顔に振舞ひて悔ゆる事なければ、神は是を捨て給ひたり。然るに中には前非を悔ひて再び天界に帰らん事を願ひ出づるもの少なからず現はるるに及びて、神は哀と思ひて時間を与へ、其時間内の行為を正しくしてよしと感ずれば罪を許さんとて律法を作り是を守れよと命じたり。然るに是を厳守するもの少なきに、神は時間の制限を解きて早き者は早く、長き者は長くしてその間に処して善悪の平均を計りて罪を定められたり斯くなすことに依て速かに善行を積みたる者は速かに天国へ招かれ、長き時間を要したるものは長く下界に留めらるるに至る。
然るに長き年月を経るに従ひ人類は下界に馴れて、神の存在などは忘却して唯残れるものは伝統的の律法は、習慣となりて残り居るにすぎざれば、守るもの守らざるありて有耶無耶となりぬ。されど神は忘れ給はず。守るは引き上げ、守らぬは捨て給ふ。故に知らず知らずにても守る者は恵みを与へて是を保護し、然らざるは見のがして恵みを与ふる事なし。故に現在に至っても神の律法に従ふ者は、感応して不明を受け得らるれど、然らざるものは神の恵なければ是を感応するを得ずと云ふ例話なり。
 是は一種の宗教者のこじつけ論なれども、汝等この話より推理して自得せば不明感応の原理は次第次第に覚ることを斟酌(しんしゃく)して考へなば、何日かは会得する事を得べし。前にも語りし無心の知らせ、或は胸さわぎ等も不明の感応に属す。念力集心霊雑話を参照すべし。人の死に方にも不明の事柄多し。然れども因縁の一語に片附くるは明らめにあらざるなり。究めずして究むれば原因あるなり。究めずして不明となして残しおく事は悪し。そは人の心を惑はすに依てなり。

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