未知日記  第五巻   感応論   肉体の感応   テツシン貴尊講義

未知日記  第五巻    感応論  肉体の感応    テツシン貴尊講義 
 2021.02.10
 前にも少しく語りしが天候の変化による肉体感応は気圧と関係ありてこそ低気圧には頭重く、高気圧にて快晴ならば気分すぐるるはみな人々の体験するところなれど、斯る事には余りに習慣に馴れて問題になし居らず。普通の現象と心得居るなり。されど今少しく何故に斯る現象あるならんととの考へを廻らせば、感応の理も亦従って知るところの資料ともなるべし。人体にも気圧ありてその気が大地の気圧と共和すと語らば一言にてすむならん。されど是は余りに単純にして却て不審を招くならん。されど此気圧と云ふは、即ち心意にして高気圧とは心に合ひ、低気圧とは意に通ずと聞かば合点せらるるならん。低気圧は陰なるに依て意に通じ、魂を圧迫するに依て健康者と雖も気分陰鬱となる。まして虚弱者のすぐれざるは当然なり。天候と病気の関係は詳はしき説明は医者にまかせ、感応について語るべし。

 我の語る肉体感応とは医学上の感応を超越したるものにて、神経感応ならば今更事新らしく蝶々する迄もなく、汝等に於てもすべて知るところなり。肉体感応はもとより知覚神経の働きなりとは医学上の解釈にして論ずる余地なしとおもふならん。然れども我の語るは此知覚神経に現はるる現象の異なれる所以の様々に異なる事柄について検討を加へんとするなり。先づ喜怒哀楽も感応なるは云ふ迄もなし。されど是等は前にも述べたれば重複する故略す。
 汝等幼児時代に親より或は周囲の人々より受けたる伝統的習慣によって暗示となりて、老いても離れざる恐怖心あるならん。此暗示は学者にさへ残りてはなれず、老年になるに及びて深刻となるなり。その恐怖の最も深刻に永続性なるは即ち生死なり。その恐怖は種々なる現象を順次に生みだし、或は正信に、或は迷信へと次より次へと現はれて、或は導き或は惑はせられたるなり。その恐怖心感応は捨っべきか、或は保持すべきかは別として、肉体感応には恐怖感威圧感に依て種々なる現象を呈す。中にも習慣性恐怖心を取らんとて夜墓場などへ肝試しをなすなどの例も見受けらる。是等は胆力養成と称へ居るにて、即ち臆病は肝の畏縮によると伝へられ、大胆なる人には臆病なしと云ふならば、肝臓肥大症は臆病ならざるかと反抗する輩もあり、豪胆と云ひ大胆と云ふ以上、物事の肉体に感ずるは肝臓に感ずると信じられたるならん。文字の発音より云ふも魂は肝に通じ、魄は腹に通ず。故に我は是には異論を称へじ。何はともあれ恐怖感にも一得一失はまぬがれざるなり。ものには程度あれば心すべきは勿論なれども恐るべきものを恐れず、怖るる要なきものを恐るるは悪し。さればとて臆病は病み患いなれば治癒の法は構ぜざるべからず。迷信は打破すべし。怪物変化はもとより怖るるは愚なり。屍を怖るるならば動物の肉は食するを得ざる筈なり。気品高き人の前に出づれば威厳に圧せられて顔を上げて語るを得ざる底の状態となるものなり。此事も習慣より来る一種の恐怖も伴ふ。又気合負け等も此例なり。異国人には少なく、汝等の国人には多き例なり。此感応作用等について聊か説明なしおかん。
 催眠術にて述べたる伝統的暗示の存在より来るはもとよりなれど、汝等が国には武道と云へる一種の芸術護身法ありて、即ち武士道精神による現象があづかって此威圧とか、位負けを誘導する原因となり居るなり。かてて加へて宗教の力も是に対して神仏の尊敬心高揚せしめんが為の法として怖れを教へたるによれるも、今に遺物として存在しあるは結構なりと我は賞讃す。近来汝等が国人は科学の力を他国より受け入れてすべてを科学化して思想も低下したるため、此美風は追々に廃れ行くは遺憾なり。何となれば此美風こそ人間最高の気光素を発揚する原動力なればなり。故に我は迷信の恐怖を避けて正信の恐怖を残し置けよと勧むるなり。仁義礼は宝なり。中にも礼は尊敬なり。口先の敬ひは礼にあらず。心よりの敬ひにあらざれば通ぜず。即ち気光素は働かぬ故なり。臆する心は捨つべし。仁義の心は臆病を治癒すべし。肉体感応とは心意より受くる現象なれば魂魄に任すればすべては変化す。是を一般の人は心の持ち方と称へ居るなり。是等肉体感応は心の持ちかた一つにて如何にとも解決のつくものなり。汝等が国人は霊的態度は真に勝れて美はしけれども、肉体に対しては余りに疎略にし伴はざるが故に、他国人より劣等視せらるるは遺憾なり。魂整へば身も亦整はざるべからず。旅の恥はかき捨てなどと醜態を演ずる如きは、心身の一如の境涯に達し居らざる事を物語るものなり。慎むべき事にてはあらざるか。君子は父母に見ゆるに服を改むると云ふにあらずや。心すべき事なり。神は常に汝にありて離れ給はずと諭せしもここにあるなり。
 人に接する時にも神は汝を離れず。人去りても亦はなれ給はずと不遜の態度なくんば、旅の恥はかかざる筈なり。旅をして車内にて醜態を演じ食をとるに安座し、暑しとて裸体にて食する等は、神を忘れ居れる証拠なり。他国人より劣等視さるるとも是非なく、又事実劣等なる態度ならずや。その他数々の誤あれどすべて神と共にありと思ひなば何事にも誤ある事なかるべし。故に心身共に練磨工夫して是を一如の境涯になさん事を!

然して異国人の嘲りを退けて模範とならんことを願ふなり。

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