未知日記  第五巻   生霊の感応について その3   テツシン貴尊講義   2021.02.08

未知日記  第五巻   感応論   生霊の感応 その3    テツシン貴尊講義
2021.02.09


 さればこそ、我は放心を説きたれど放霊とは説かざりしなり。然して魂魄共に出づれば葬式せざるぺからずとも云ひしを考へ合はさばうなずかるべき筈なり。此理を知り得たらんには霊感の意味はうすうすながらも一歩々々推理して、会得の道を歩み得るならんと我は信ず。又仏教に於て十一面観音とか千手千眼観音とか云ふもみなその形を作り以て大道通達を教へ居るなれど、大衆は悟るを得ずして何れの観音がよく利くとか、薬石の如く考へて拝む不憫さよ。霊の眼は千はおろか限りなく見る眼なり。限りなく聞く耳なり。口なりと知るべし。常に何物たりとも感ぜずと云ふ事なり。霊は霊に通ずるを以て霊は一体にして百二十光百二十気、悉く完備すれども、人間の個性は魂魄に下されあるを以て相違ある如く見ゆれど、霊に個性なければいささかの相違ある事なきは云ふまでもなし。唯異なるところは働きに相違あるのみ。何となれば人の個性を其々の分野に働かしむる為の相違なり。
 或剣士名僧にさとりとは如何なるかと問ひしに、名僧答へて曰く、
「汝は剣士なり。剣を捨てざればさとりは得られじ」剣士曰く、
「さとりと云ふは不自由なるものかな」と。僧曰く、
「汝の剣こそ不自由なるものなり。依て其不自由を捨てざればさとりは得られず」
剣士曰く、
「剣は身を修め世を修むる要具なれば、如何でか是を捨つる事を得んや」
僧曰く、
「汝の一剣は万人むかふを得るや?
剣士曰く、
「技と量に限りあれば是を倒すは難し」
僧曰く、
「かるが故に不自由なり。刀刃には限りあり。何とて心に利剱を帯せざる?
弥陀の利剣は煩悩の絆を断つ。汝の太刀は人骨を断てども、人の心を断つあたはじ。世を治むる劔ならば世に害ある悪道を断つて禍を遠ざくる劔ならでは、何の役にもたたざるなり。是ある故に劔を捨てて心に利剣を求めなば真のさとりは得らるるなり。腰の太刀に囚はれては真の剣士とはなるを得ざるなり」と教へたりと。
 汝等もすべてのわだかまりを捨てて霊に帰せば、感応導交して物事はわけなく成功する事を得べきなり。心整はずば悪霊に感じ、心整ふて初じめて精霊下る。是即ち汝が霊なり。汝の霊は汝を知る。仏出さうと鬼を出さうと、是は汝の心にまかせ。苦まんより楽しむにすぎざるならん。
 剣士は劔に苦み、芸術家は芸術に苦みて妙を得ざるも業に縛らるる故なり。其ものより解放されて初めて極妙を究むる得。感応の至らざるは縛ばられあるに依てなり。解放されて明るく通ず。篭の鳥は解放されて己が本分にかへる喜びの声を聞かば、汝等にも思ひ半にすぎざるものあらん。

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