未知日記  第五巻   霊の感応について   テツシン貴尊講義  木の精の話その一 2021.02.07

未知日記  第五巻   死霊は感ずるか    テツシン貴尊講義   2021.02.07


  汝等に感応の大事を悟らせんが為に死霊は感ずるか。又是等の伝説風説は迷信か正信かについていささか記しをかん。是は心霊雑話に於ても詳細を説明されありて、又かの念力集などに述べ尽くして汝等はよく理解するならんも、我ここに語る所は、感応の見地より論ずるなれば、意味も趣も異なるを以て前説を参照して聞くべし。
 或人父が失へる資産を如何にかして回復せん事を神に祈願したるが、満願の朝、宮の階段を下る時、足をすべらせて倒れしがその時何か手に触れしに取り上ぐれば一筋の藁なりき。是を拾ひて帰途につけるに、一人の女、木履の緒を切り悩み居るを見て拾ひし藁にて緒をすげやりしが、その女大に喜び礼にて蜜柑を渡せり。又行く程に気品高き婦人癪と云ふ病に悩めるを見る。婦人の従者彼が傍に来り、汝が持てる蜜柑を主に与へよ。主は是にて病治癒すればなりと云ふ。彼与へしに礼物として絹一疋を得たり。又行く程に一人の騎馬武者駆け来りて彼が前にて馬は倒れたり。武者曰く、
「汝が持てる絹を我に売れよ。我、主の為に絹を買はんと来りしに馬病みて進むあたはざればなり」と。彼、武者に絹を与へて病める馬を代物として受けたり。武者の去りし後馬を介抱しけるに全く癒えたれば喜びて我家に連れかへり愛し居たりき。或日一人の武士来りて此馬を見、名馬なれば己の乗馬になさんとて多額の代価を支払ひて去れり。彼はその代金によって失へる資産を悉く取り返して裕福に暮したりと云ふ。
 汝等此話を聞きて神の力は尊きものかなと思ふか。又是は神の力にあらずして何か他より来る一種の運と考ふるや。運不運とは斯る事柄を云ふならんと考ふるや。我、汝等に斯る例話を致せしは死霊とか、或は生霊とかについて此物語を更に空間に引き上げて一の物語に作りて汝等が合点を得させん。
 資産を失ひし父は念を残して世を去りしが、世に恨みを持てる念にあらねば、苦みは絶えてなく、唯祖先に申訳なしとのみの念は、我児をして回復の道を果さしめんと我児の魂魄に移り行きて神に祈らしむ。然れども父の魂魄は念に引かれて昇天をなさず。我子を見守りつつありしが、我子の神に願ふを見て、かの父の魂魄は霊に依て空源力を求めて子の身の上を補佐するを得たるなり。然して満願の日ともなれば其後は来らざるを以て、此日にあらざれば機を失するを以て、気光素を働かせ、或は空源力にすがりつつ鼻緒の人、病の人、騎馬の人にと乗り移り乗り換えて斯くはなしたるなり。然して望みを達したれば悪念ならざる念は、願望成就して霊に従ひて天界に昇り行きしなり。故に此物語より観察すれば、父の念力より魂魄の働くところとなり、空源力を知る霊の力にて全く子は救はれたるに他ならざる事知らば、帰するところは父の死霊の働きぶりと云ひ得らるべし。人は人間を主として他を顧みず、宇宙はすべて人類の為に造られたる如き優越感に充たされあるを以て、何事もみな人間本位に考ふるは愚なり。さればこそいささかの事をも己が智の及ばざれば、神がなし給ふとすべてを神に帰するなれど、神は全宇宙を掌握し給なれば、御力はあまねきわずか人間のみを重く用いて、人間のみの為とはなし給はざる事をよく心して奉仕せざれば、広大無辺の神の徳は心意魂魄に徹せざるなり。されば肉体慾を離れ人間本位を離れて、深く神の御徳に寄与せんことを発願すべきなり。   

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