未知日記  第五巻   生霊の感応について   テツシン貴尊講義   2021.02.08

生霊感応について   テツシン貴尊講義     2021.02.08


  死霊については例話によりて予め知り得たるも、尚是に関して念力集心霊雑話等を読みて、理解力を養ふべし。死霊と生霊とは感応に於ては大同小異なれども、一種特別なるありて、念力集心霊雑話に云ひ残したる遺補として少しく語りおかんとす。
 生霊は死霊の如く自由自在に活躍なすことは難く、行者或は特殊の能力を有するは別として、一般にはその働かせかたを如何にせば通ずることを得るやと思ふ底なれば、霊の働きなどには留意し居らざるなり。
「我は明日の米にさえ追はれてあくせく働きに忙殺さるるに、死後は如何にとか、斯ることを考へるは閑人か、老人の時間つぶしなぐさむことにて、我等の仕事は金儲けなり。金なくんば首なきも同様にして、兎角金がもの云ふ世界なり」とて、霊とか修養とかには耳を籍さぬのみか、
「死ねば灯火の消えしと同様なり。斯る事に意を払ふ隙あれば、座敷の掃除にてもなせば可なり」と、毒舌を敢て吐くさへあるなり。斯る言葉を聞く毎に我は尤もなりと感ずるなり。

 詩を作るより、田を作れ!何と美はしき教へならずや。働くとは将に苦をぬくの意味ならずや。人間に生れたれば、人間としての役目務めを怠らず、分に応じて働くは天理に順ずるなり。我、何とて異論あるべき。さりながら、「一も金二も金三も四五も金、阿弥陀も金に光る世の中」に至っては愚も亦極めて甚だし。斯る事には論議の余地なければ、さて本論に返へらん。
 生霊の感応とは他にあらず。汝等日々人に接するは生霊の感応ならずや。是を拡大延長を計りて修行する事に依って生霊の徳は現はれ、人間本来の面目を得るに至る。汝等生霊の祟りなど云へる事を問題となすに依て、恐怖をおこし戦慄を感ずる如きものと考ふるにより、生霊を特殊あつかいなすは誤れる思ひなり。生霊の養ひを全くすれば、死霊に至って益々光彩を放つは当然なり。我の云ひし死霊とは死し汚れたるを云ふにあらずして肉体を離れし生霊、肉体滅後の生きたる霊を指したるなり。汝等死する勿れ。死すれば汚るるなり。永久生きるは霊の特性なるを、死せしむれば汝等は殺生戒を犯すなり。汝、自身を殺す勿れ。汝自身を死せしむる勿れ。

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