未知日記  第五巻   霊の感応について   テツシン貴尊講義  木の精の話その2 2021.02.07

未知日記  第五巻   霊の感応について   テツシン貴尊講義  木の精の話その2 2021.02.07



 此物語に於ても最も重要なるは女が云ひし此箱を老婆に見すれば、再び汝に見ゆる能はずと云ひし点なり。箱とは神の秘密を指し悪魔に教ゆれば、此反対によって悪魔の虜となりて、迷ひし人の霊も杜の霊も破壊せられて、長時の苦患を受くると云ふ重大なる意味を見逃す勿れ。霊感々々と汝等は一口にすべてを霊感に帰する故に真を欠く恐れあるなり。肉体の有する霊感と称するは魂魄にして、真の霊感にあらざるは再三再四語りたる如し。霊は空源力を知り居るを以て、肉体を有すると有せざると、常に感応はなし居るにて、唯魂魄一如の時にはじめて一大事を語り、然らずば魂には魂の力量に応じ魄には魄の力量に応じ居るなり。
「天に口なし、人を以て言はしむ」と、云へど我は云ふ。
「天に口あり、人は耳を塞ぎて其声を聞かず」と。又言ふべし。
「天の声を聞ゆるは幾何ぞ」と。汝等この言葉をよく咀嚼して味ふべし。我等は汝等の為に教へをなすにあらず。人間の為になすなり。天に口ありと云はば、汝等は奇異の思ひをなし、驚異の眼を見はるならんも敢て不思議にはあらざるべし。
 雨ふらば雨の声、風吹かば風の声、是天の声にてはあらずや。汝等雨風の音を聞き得る耳を今一段明白に聞きて、真実広大無辺なる天地の大声を聞く耳となさば如何と、我は勧むるなり。人間の口より出づる声は小さくして棘あれど、神の声は大きくして斯る毒舌は有せず。所謂天地の神には真の感応なればなり。虚偽の感応は人に在り。霊の感応は天地の感応によって通ず。されば霊に虚偽あることあらんや。人間魂魄共々感に任せて通ぜしめんと計れど、霊は斯る偏頗を持つにあらず。されば霊に従ひて行を励めば天地に通じて、天の声を聞く事を得べし。
 汝等は他人よりいぢめらるるを喜ぶ底の修養ありや。是は行者達の最も大切なる修行の一なり。一度いぢめらるれば一つの罪滅するとて却て喜ぶ修行なれども、汝等には難かるべし。修行も此処迄達すれば霊感は容易なり。我、是より語る霊感は真の霊感を語るなり。故に汝等は此意味をよくよく精読すべし。なるべく言葉を砕きて専門の語句をもちいざるよう努力せん。然すれば文体は整はず。さりながら意味通ぜなば可ならんと思ふなり。
 先に話したる如く、すべては霊気を有す。家には家の霊気、宮には宮の霊気、寺には寺、森には森、三昧ヶ原には墓の霊気悉く其々異なる気分を汝等は味ふならん。同じ家に於ても甲乙丙丁みな一様ならざるべし。その感じの一様ならざるは如何なる理由なるかと聞かれなば、汝等はその形、その意味或は周囲の模様等に依てなりと云ふならん。そは然り。されど同じ位置に在りながらその感じの異なる事あり。栄ゆる家には温気、哀ふる家には冷気溢ふるるは汝等も経験あるならん。我は是等に対して彼是論説を加へんとなすにあらず。要はその霊気の現はれ方についてなり。霊感は斯くも千差万別にして一言詞し得ざるなり。然れども汝等が思ふ如く、静物或は動物に関しても感応の起り来るは、彼の思ひにあらずして人間自らが作り来る感じならんと。然るなり。然あれば別段考慮の余地なかるべきに、是を重視するは何故なるかとの疑問とならん。我は此疑問あらんことを希み居るなり。その質問に答ふるに先だち我より質問あり。
 汝等、物を見て種々様々の感じを起すは何故なるかを答へ見よ。汝等は云はん。そは相手あるに依て耳より伝はる間に答ふる解説なりと。されば一つの問あり。その答への区の起る所は何処より来るやと。汝等は是に対して明答ありや。相手なくとも来るは来り、去るは去らん。春の雨、夏の雨、秋の雨、四季を通じて来る雨にすら感を異にするなり。

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