未知日記  第五巻   感応論   言葉なき感応その2   テツシン貴尊講義2021.02.05

未知日記  第五巻   感応論   感応は何に依って生ずるや  テツシン貴尊講義    

感応論終結篇下巻 完
 


 言葉なくとも感応は現はるるとせば、その現はれ来るには理由なかるべからず。此理は如何にと云ふに、汝等は先に学びたる人体電気なり。即ち陽の光素、陰の気素が結合して肉体の機械には常に絶間なく発電なし居るを以て、すべて宇宙より発する電波を感受しあるに依て、現はるる現象なり。所謂言葉ならずとも、すべて音波気波光波は感受するにより、筆舌の及ばざるもの及び事柄が充ち伝へらるるなり。此理を知らば大凡は汝等も諒解なしたるならん。
 前にも語りし如く智慧を絞り出すとか、或は思案に余るとか。又は窮すれば通ずとか云へる事は、その工夫の事柄に対して波長を合はさんと検波器を彼方此方と廻転するうち、是に適当せる波長によって始めて受信を得たると同様の関係と思はば可なり。されば考案工夫とは検波器を廻転すると見なして行はば、何かその事柄に通ふ波長を受信することを得るなり。
 例へば放送局が多数にありてその土地々々に異なる波長をもつ如く、肉体にも多数の発電所ありて、断間なく発信なし居るに依り、汝等は雑念のたゆることなきなり。故に重大なる放送を聴取せんとせば他の放送局を停止せしめて波長を一定ならしめざるべからず。されば精神統一とは所謂他局の放送局を停止せしめる方法と考へて工夫すれば必ずや得るところあるならん。小児の感受力強きも常に雑放送なくして聞かんとせば直ちに波長を整ふるに反し、年長者は波長をおろそかににして、他の放送と共に聴取なすによって忘れがちとなるは深く徹底する共鳴力を失する故なり。汝等の放送局は余りに多し。中にもねたみ放送局、そねみ放送局、嫉妬放送局、謗り放送局は有害無益なれば速かに廃局したきものと我は願ふなり。然して其に加ふるに慈愛放送局、思ひやり放送局を拡大せられん事を冀ひて、此篇を閉づることとせん。

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