未知日記  第五巻   言葉なき感応   テツシン貴尊講義2021.02.04

未知日記   第五巻   言葉なき感応  その2   テツシン貴尊講義   2021.02.04


 汝等小児より「其から如何になるか」との質問を繰り返へし繰り返へし訊かれなば、彼に充分理解を与へ得る言葉を有するや。人界に百万の文字百億の言葉ありとも物の数ならざるべし。誰か云ひし如く「書は姓名を記すに足る。学は広くせざるべからず」との意味を我は聞きたり。言葉わけて人間同士の言語は不自由なるものにして、汝等が世界中に於てすら一様に共通せざる不便ならずや。然れども感応は共通にして修むれば通ぜずと云ふ事なく、霊に感ずれば霊に通じ、神に感ずれば神に通じて余す処あらざるなり。汝等が言葉には足らざるあり、余れるありて却て真の意味を伝ふるあたはざる事多し。汝等早く修行修得して感応の妙理を究めて斯る不便の苦をまぬがれよ。言葉は符号なれども感応は符号にあらず。虫の中には言葉なくとも自由に用は弁ずるあり。人の中にも聾唖者は不便を感ぜず用を充たしあるにはあらずや。此理より考ふれば感応とは如何なるかはいささか分り来りし気分を起したらん。汝等が住む地球は数千年に生じたる動植物の数を計算して地球の増減変化を計り見よ。然すれば地球は何十倍かに増大なし居る結果とならん。然るに地球は最初と異なる事なく、却て小さくなり居るにてはあらざるか。然らばその生じありし動植物の分解せられたるものは何処に飛散したるかを考へ見よ。然る時はすべて空なりし事がうなずかるるならん。「小児がもてあそぶシャボン玉の如し」と云ふも道理なるべし。唯表はれて唯消えたるにすぎざるなり。斯るはかなき肉体に拘泥して彼是と思ひ悩まんより永久不変の魂魄に思ひをおかば却て真の娯しみは得らるるならん。汝等の肉体観念は余りに深刻なるに依て、拉苦を得る事難きなり。感応の理論を会得し得られざるも肉体を主としたる故にさとりは鈍し。汝等は心の修養をなし居るに依て、肉体を忘れ居ると思ひ居れど決して然らず。一も二も心と云ひて実は肉体の田に水を引き居る結果、我等が思ひと反し居るなり。

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