未知日記  第五巻   感応術について  テツシン貴尊講義2021.02.02

未知日記  第五巻   感応論   感応術について その1テツシン貴尊講義  2021.02.02


 催眠術の法を教ゆるは易けれど、汝ら一般には有害なれば法は省略す。学ばんと欲せば識者の許可を得て秘伝の巻を熟読しなば明瞭に示めされたり。ここには理論のみ説かん。
 さて催眠術と感応術との相違は如何にと云ふに、催眠術は魂を疲労せしめて雑念を除去せしめ、魄を誘導する方法、即ち汝等が云ふ精神統一に属する術にして、感応術とは其が前奏曲とも云ひ得らるる方法を云ふなり。故に催眠術を修得せんとなす者は、先づ先に感応術を修得して然るのち催眠術を受くるは順序なるべし。我先に催眠術を語り前奏曲なる感応術を後にせしも他ならず。催眠術の用途はせまけれども感応術の範囲はきはめて広く且つ重ければなり。
 大凡人間の道は感応に依って成立しおると云ふも過言にあらざる底の重大意義を有するにて、感応なくんば生活の道は断たるるならん。例へば彼の店は信用あるにて売品は確実なりとて、他の商店より値高くとも買ひ入るる等は、即ち感応術の現はれなる事も知らるるなり。即ち人を信ぜしめたる或は不信せしむる等は感応の力なりと知るべきなり。我、汝等に信を与ふるを得ば、我の術は長けたるにて、不信を抱かしめなば我の術は拙劣なるによりてなり。感応の大切なるを説きしは、此信不信に依るのみならず、感応の要訣は信を得せしむるにあり。不信を与ふれば如何に巧妙なりとも通ぜず。却て遠ざかり行く結果となる。汝等にも経験あらん。彼の人は信をおくに足らず。故に何事も意に介する勿れとて、取りあはぬ等の事あるならん。是感応と逆となりし結果となりたるなり。信ぜし人に欺かるるとも尚そは何かの間違ひならん。彼の人に限りて斯るためしあらざるべしとて、却て其人の為に弁明をなすにあらずや。故に信不信は感応術に関して最も重要なる役目を有し、信を得せしむれば感応術は成功せしと云ひ得らるべし。商人はもとより芸術或は何々家すべて人間の生活に要するすべての分野について、先づ信を以て世に処しなば感応導交は間違いなく得らるるなり。

×

非ログインユーザーとして返信する