未知日記 第五巻感応論  催眠術について  テツシン貴尊講義

未知日記   第五巻   催眠術について    テツシン貴尊講義
2021.02.02


  学理の未だ進歩せざりし頃は不思議の術として魔法魔術と称へられたり。是は武道の忍術或は妖術として用いられたり。然るに学者間に於ていささか研究され現今にては医学にも用いられあれど、未だ一般的ならず。中には是を応用して悪質なる行為を働く不逞の徒もありて人を悩ますもあり。ここに一例をあげ是に依て説明を詳しくせん。
 或人未知の人よりの書状を受けその文の不明瞭なる為再三再四読み返へしたれど、尚意を解するを得ず。その文の中には銘刀一振り何処に持参せよとの句を逆さにしたありき。彼は文を丸めて火桶に投ぜしに火は消えありて火失せざりしも彼は心附かざりき。軈て月日は流れ行き、或日、友、彼の許に来り、汝が宅にある汝が誇り居れる銘刀存せるかと云ふに彼ありと答ふ。さらば我に見せよとの望みに、彼、土蔵内を探し求れむれどなし。依て求むれども不思議にもあらずと色を失して答へぬ。友の曰く「然あらん。汝の宝は是ならずや」と示めしたるを、彼審りて、「如何にして汝の手に移りたりや」と問ふ。友曰く、「さる者斯く々々の所を通行中、あやしき男彼を見て遁走したるを審み近寄り見れば、此太刀ありたるによりて拾ひて持ち帰り、届を怠りて売却し、其が転々として我手に帰す。斯くてよく験すれば汝の所蔵なるによりて持参せしなり」と。彼不審して土蔵を検(しらべ)せしも外より入りたる形跡なし。然るにふと火桶を見れば未知の人の文、残り居るに開らき見れば何日と何処の場所と記せし所にて拾ひしと云ひしは同所なりき。
友の曰く、
「是にて諒解せり。汝は此者の催眠術にかかり、汝自ら太刀を彼の場所に持ち行きしならん」と云ふ。是例話なり。今是を説明すれば此法は眩惑催眠或は眩惑感応とも云ふべき法にて、非常に術に長けたるものにあらざればなし得ざるなり。先づ文を手にしたる時、未知の人と云ふ感応が魂(こん)に動揺を与へたるに初まる。然して文の内容はもとより、諒解を得しめずして心魂を混乱に導くを目的としたるなれば、神経を苛たしむ。ここに至れば思案思慮せざるべからず。されば心魂は意魄に訴へて解決を促がすの余儀なきに至る。然して魂は他に思ひを転ずるに依て魂と魄とは区分されて、ここに別々となり思案は魄に移るなり。然して魄はその文の肝要なる銘刀何処に持参せよに重点をおきて是に従はざる結果となり、指定の場所に銘刀を持ち行かんと魂に計れど、魂はもとより忘却して知る事なし。されば魄がなすままにまかせて、太刀を命ぜられたる場所に持ち行きて使命を果して後に忘却に終りたるなり。斯く語るとも汝等には容易に諒解するを得ざるならん。汝が家庭に於ても斯る例は屡々見受くるなり。夫が他の事に思ひを馳せ居る時、妻が何々なしても良きかと云ふによしと承諾しおきて後に至り、許可せし事あらずと云ふ如きと同様なり。催眠術には種々の方法あれど帰する処は魂魄分離法にすぎずと云ひ得らるべし。
 学者間にて第一人格、第二人格とか、或は潜在意識とか称し居るは、我が説く魂魄と仮定しあるを云ふなり。其第一人格を動揺させて疲労を感ぜしめ、第二人格をよび起こす法を催眠術と称するなり。第一人格は魂にして、第二人格とは魄と思はば可なり。されど学者間に云はるる第二人格を霊と云ふは誤なり。又学者間にては第二人格を潜在意識とも称し居るなり。
 我、此催眠術を説くにあたり斯る事を説くは他ならず。第一第二人格と称へなば、汝等には却て悟りは早からんかと思いたればなり。依て魂と云はば第一人格、魄と云はば第二人格、又は潜在意識を連想して考ふべし。然せばさとりも速かならん。
 人たまたま大なる驚愕に襲はるる時、昏倒し、甚だしきは命を失する理論は先に語りし如くなるが、催眠術は是に類するにて、即ち魂をして疲労倦怠を感ぜしめて其働きを静止せしむれば、魄の潜在意識は働く。然して気光素は魂の持てると魄のものと両者一となりて魄に化して種々の働きをなす故に、平常と異なる様を呈するなり。是等の方法を汝等に詳細教授するは易けれども大衆に教へなば害あり。

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