未知日記  第五巻  感応論  有意識感応、無意識感応  テツシン貴尊講義 2021.02.01

未知日記  第五巻    自己感応について 続き    テツシン貴尊講義   2021.02.01


  その言葉なき感じなくんば人智は進まず。人としての道は開かれざるべし。汝等は感応とか感じとかに対して、唯充分のわきまへなくして観察なし、是を軽視すれば誤多しと諭せしはここに慎重なる意味を有し、又論議の余地多き事に留意せよ。此智慧の光明こそは霊の働きにして空源力によるなり。是を自己感応と誤り考ふる事勿れ。
 然れども此作用に於ても二種あり。一は魂魄一体となりて気光素の動波によるものと、前に述べたるとの二つに区分せらるるなり。所謂前者は絶対、後者は相対なるによりてその判別も従って容易なり。魂魄一体の感応には種々様々の変化ありて微妙なる結果を招来する働きあるなり。中にも最も世に多く用いらるる気合術とか催眠術等々も抱合せらる。気合術は相手の気分を測定してその頂点と、自己の頂点とを比較してその勝れたる方の勝利に帰する術なり。是は相互感応の戦ひにして気と気の争いを合気の術、気合術と云ふ。又気合療法とか凝気術凝念術なども是に属す。然してこの気の依て病苦を治癒をせしめ得る理由より判断を下さば、その病気の性質によっては治癒するもせざるものの区別も明らかに知る事を得るなり。万病を治癒すなど吹聴なし居れども斯る事は理を知らざるによりて術者も被術者も迷ひ迷はさるるなり。是等の大要は外観法と内観法との融和を計る方法にて、帰する処は外部より内部感応を誘導するを目的とする術なり。
 換言すれば病苦にて精神の弱れる者に元気づけるにて、その元気にて治癒を促進せしむるに他ならず。故に被術者は薬石を用いながら、その療法を受くれば治癒も速かとならん。然れども薬石なくして術のみに囚はれてゆだねおくは、病気の性質によりては危険多ければ注意せざるべからず。精神療法の多くは元気づけるにすぎざるなり。

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