感応論   第五巻   感応と感想   テツシン貴尊講義

未知日記  第五巻   終結篇  有形の感応  上    テツシン貴尊講義   2021.01.29


 写真は感応によりて現はれし印画なる如く、汝等は生れ出しより感応によりて育ち育てられたるなり。故に汝等の脳裏には感応写真が多く貯へられあるなり。別れたる親兄弟知己の姿も風景も幼児の頃の行為も、悉く写真に残りあれば、何日にても見ることを得るなり。此印画紙を求めて脳裡よりひき出さんとなす思ひにて、この写真を論評批評する、即ち感応の如き解釈を得べし。さればこそ深き印象は鮮明にして保存も大切に蔵しあるを以て容易に是を取り出し得れども、不鮮明なるは散乱しあるを以て容易に引き出すあたはず。甚だしきは紛失汚損破壊して求むるを得ざるなり。物忘れしたりとか、斯ようなる事もありしなど、如何に求め考ふれども想ひ出さぬ等はみな此理に基く。斯る憂いなからしむるには常に印画紙を整頓して何時にても、如何なる場合場所にても思いのままに引き出し得るようなしおくべし。人は肉体の身の回りは整頓して朝夕座敷の掃浄はなせども、心の掃浄整頓には無関心なり。常々ならずとも稀はきれいにせよ。
 一か所の風景に於ても東西南北より、或は一二歩の距離の隔り朝夕時間の相違にて、映写したる印画は異なる如く、人の脳裡に閃く感想感応等も相違あることを知らば、世の中の理論はもとより理屈の生じて迷ひ迷はさるる理由も亦察するに至らん。汝等の脳裡の写真には不鮮明なるあり。或は二重映写したるありて鮮明なるは僅少なり。斯る印画は焼きすてて整理せよ。然して今後鮮明なる多くの印画を蓄積すべき場所を開らきおかば可ならん。鮮明なる写真を撮らんせば眼鏡を択ぶもとより、暗箱速写機乾板等に心を用いざるべからず。写真に最も大切なるは眼鏡なり。是が粗悪ならば如何に巧なる技術者とて、完全なる印画は得るは難し。されば眼鏡とは何ぞや。又暗箱印画紙乾板とは何なるか。或は技師と云ふについては、既に汝等は覚りしならん。即ち魂魄の眼鏡、心意の乾板、印画紙暗箱の肉体、技師は即ち汝なるべし。是に依て感応と感想の理論は会得なしたるならん。

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