感応論   第五巻   感応と感想   テツシン貴尊講義

未知日記  第五巻   感応と感想    テツシン貴尊講義


  我、今感応の本論に入るに先だちて、汝、慈音に一言誡めの言葉を与へん。汝、此書を認めるは退屈しのぎの時間つぶしと心得てなし居るか。或は道楽の一種と心得て認め居るや。戦時下危急存亡の竿頭に在りて斯る考へなれば汝は大人物なり。然れども疎開せんとか、肉体について孫について様々迷ふを見れば、未だ覚悟はなり居らざるなり。汝は神を信ずるは虚偽の信仰か。但しは我等の教へを不正と見るや。我等が説き居る事を汝が智慧より認め居ると汝は、自問自答し居るや。然りとせば汝の心汝の智慧は君子にあらずや。よく考へ見よ。疎開して果して妻子眷属安全の道は遂げらるるか。汝の疎開は逃ぐる疎開か。戦ふ疎開か。戦ふ疎開ならば軍隊の足手まとひにならざる所ならば可ならん。逃ぐるならば何処に行くも安全は望まれじ。我等は人間の道を説き居るは戦争下なればこそ汝を選びたるなり。戦時下ならずんば斯る要なし。
 慈音よ。深く考へよ。趣味とか遊び半分座興にて斯る一大事なる神の道、人の道を汝に教へ居るにてはあらざるぞ。汝、汝の心中は我等は知りて同情は与ふなり。同情を与ふに依りて導き居れるにはあらざるか。たとひ肉体の難はまぬがれずとも、魂魄は空しく終らすべきにあらず。深く考慮せよ。このあはただしき空気の裡に神の道人の道を説くには理由ありてなり。慈音よ。すべてを周囲のなすがままに任せよ。汝の肉体も我等監督せん。安堵せよ。
(昭和二十年三月二十八日)

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