未知日記  感応論  第五巻  終結篇 上 露をだに厭う大和の女郎花ふるあめりかに袖はぬらさじ テツシン貴尊講義

未知日記  感応論  第五巻    露をだに厭う大和の女郎花ふるあめりかに袖はぬらさじ  
                テツシン貴尊講義


 
 感応と云へる言葉を今一層大なる考へにて明らめ見よ。もとより感応と云ふは空なり。空なるが故に感応は広し。静物にもあり。動物にもあり。或は有形無形みな是感応ならざるはなし。一つの月が春夏秋冬同じ光を放ち照らすど、見る人の心に澄みて千々に思ひを砕かしむるは是空に依てならずや。
我、汝等に屡々語る如く信仰を厚くし心を清くして疑ひを去れよと云ひしも、感応は正しく得せしめんが為なり。人を見ば盗人と思へなどとの俗言に惑はさるる勿れ。又人心には表裏あるなぞに迷はさるる勿れ。疑ひの心は汚るるなり。汚れたる心に正しき感応を求むるは難く、水清ければ池底迄通ず。正しき感応を得んとならば清き心ならざるべからず。信あれば得ありの諺にならふべし。


 感応は空なるが故に気なり。又光(こう)に伴ふなり。月見るは光なり。我に感じ来れるは、其光より更に現はれたる一種の気が感じ来れるにて云はば空なり。是には月と云へる対象物あるによって現はれたる感応なれども、対象物なくして感応し来るもあるに依て、気と云はず空と説きしなり。汝等が常に雑念に囚はるるは、相手なき感応と感想の混合し居る事により暫時も休止なし居らずと知るべし。謂はば質問応答の如きなり。小時合はぬ友の身の上を思ひ出し、旅の空にて故里を思ひ出すも感応なり。此感応作用のあるに依て、雑念は除去し難き事と知るべし。彼は無神経なるに依て何を語るも通ぜずと云ふ事を耳にす。されど斯る者にも感応はあるなり。何となれば彼も空腹とならば、食を求むるならずや。是即ち感応なり。又反射作用と云ふも感応に帰せしむる事を得。然らば心意の思ひ働き悉くが感応に帰するかと云ふに然にはあらず。是は感応感想思案の三に区分する事にとなる。この他耳目口鼻及び五体より感応は出入りする事も亦知りおくべし。さて本論に入るに先だち、汝等は此すべての項目の数々を予備智識の参考として心得おくべし。わけて殺生と殺生ならざると、邪淫と邪淫ならざるとの区別の講話に留意しおくべし。

×

非ログインユーザーとして返信する