覚者慈音13   再び慈音師について



再び慈音師について



この書の著者についての紹介を簡単に述べてみます。
著作者は伊東慈音。東京の人で昭和二八年にすでに昇天されています。
彼は全盲の老人であって、
壮老期を東洋音楽(琴。三味線)を生業としておられました。
昭和一九年頃から天界の命により、戦時中をもはさみ、
およそ八年間に渉って天界からの指導監督を受けられ、
天使方の言葉を書き留められたものがこの「未知日記全巻」なのです。
私、以前慈音師ととても近しい関係にあられる松尾さんと云ふ方に面談し、
こんな話を聞いたことがあります。
それはあの戦時下、東京空襲の際の話でした。
全都民は当然、防空壕に避難して、家屋には人っ子一人いない時、
この老師はそんな時にも貴尊方の講義を端然として聴取しておられたそうです。
その刹那、庭先に焼夷弾が炸裂した。
その時はさすがの慈音老師も浮き足立ち、狼狽したそうです。
この師に対し間髪をいれず、貴尊は斯くの如き言葉をもって叱咤されたそうです。
その内容を本書から抜粋します。



「汝此書を退屈しのぎ時間つぶしと心得てなし居るか。
或は道楽の一種と心得て認め居るや。
戦時下危急存亡の竿頭にありて斯かる考へならば汝は大人物なり。然れども疎開せんとか、肉体について、孫について様々迷ふ見れば、未だ覚悟なり居らざるなり。
汝は神を信ずるは虚偽の信仰か。但しは我等の教へを不正と見るや。我等が説き居る事を汝が智慧より認め居ると汝は、自問自答し居るや。然りとせば汝の心、汝の智慧は君子にあらずや。
よく考へ見よ。疎開して果して妻子眷属安全の道は遂げらるるか。汝の疎開は逃ぐる疎開か。戦ふ疎開か。
戦ふ疎開ならば軍隊の足手まとひにならざる所ならば可ならん。
逃ぐるならば何処に行くも安全は望まれじ。
我等は人間の道を説き居るは戦争下なればこそ汝を選びたるなり。戦時下ならずんば斯かる要なし。
慈音よ深く考へよ。
趣味とか遊び半分座興にて斯かる一大事なる神の道、
人の道を汝に教へ居るにてはあらざるぞ。汝、汝の心中は我等は知りて同情は与ふなり。
同情を与ふに依りて導き居れるにはあらざるか。
たとひ肉体の難はまぬがれずとも、魂魄は空しく終はらすべきにあらず。深く考慮せよ。
このあはただしき空気の裡に神の道、人の道を説くには理由ありてなり。慈音よ。すべてを周囲のなすがままに任せよ。
汝の肉体も我等監督せん。安堵せよ。」と


皆さんにお伝えしたかったことは、こういった極限状態の中で、
この書は書かされていたのだ、ということを知って欲しかったのです。斯くの如く、命を投げ出し、神に全託してまでも書かされた書物など、古今東西を通じて、はたして幾冊あったでしょうか。おそらくは皆無、一冊もありますまい。
まさに身命を賭しての、命を削る所業であったのです。
そのような本が四十年余りも日の目を見ずして、地下に埋もれていた訳です。でもこれも貴尊方の深慮遠謀によるところなのかもしれません。埋もれていたのではなく、「時、未だ至らず」敢えて埋もれさせた。その方が考え方につじつまが合うように思います。

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