覚者慈音12   此の書を読まれる方に

未知日記を初めて読まれる方に


 つい最近亡くなられた筋萎縮症の天才的天文学者であるホーキング博士が「銀河系宇宙に限らず、地球から視認できる他の宇宙をも含めれば、高度文明を持つ星の数はおよそ二百万はあるだろう」と答へられたことを文献によって知りました。
さすがだと思います。でも、全宇宙の創造の逞しさ、広大無辺な活力はとてもそんな程度ではなさそうです。そんな内容がこの未知日記の書に盛りだくさん書かれています。それによると地球人の知的レベルは、仮に宇宙からみて進歩発達の段階が100段階あるとするならば、八十番目の低き位置にランクされるそうです。
宇宙の先達の眼からみれば、地球人種はまだまだ幼く、幼稚園か保育園に入園したばかりの園児にも等しいと言われています。
一例を挙げれば、全宇宙に生息する無数の人類、それも私たちから見たら、まるで神かとまがう程までに成長進化した人類のことを、幾段階層にも分けて詳述されております。特にその書の大部をかけて、何故私たちがこの世に人間として生を享けたのか、そして肉体を有する間に各自、何をしなければいけないのか。
真の人間として生まれかわる為の方法論とは如何なるものなのか。その方法として、すべての人間に内在されている魂霊の発見と育成方法を、微に入り、細にわたって説かれています。
今の地球の現状を見れば、学者ならずとも、はたして私たちの孫子の時代まで、この地球生命がもつのだろうか、と危惧する一般人はいま圧倒的に増えています。やがて今後の時間の推移とともに、誰しもが人類史始まって以来の危急存亡の位置に、いま地球が置かれあるのだということを、率直に認めざるを得なくなるような時が来るでしょう。
今後の世界の成り行きについて示唆されておる一文を未知日記より引用しますので、深く考慮してみてください。


「円海の教へし言葉の中に一大事ありと語りしに対して、汝等衆人は如何なるかを知らざるならん。今少しく年月を経ばこの言葉は事実に現はるべし。円海は是を知るによって動物性と人間性の二つに区分して、来るべき事柄を暗黙の裡に語り聞かせ居るなり。其は何ぞ。他ならず。汝等衆人の住む地球のなり行きを語りたるなり。今や汝等衆人の地球は動物性と人間性とに似たる世の中なるによって、其末路が如何になるやを語りたるなり。汝等地球の現状は一方は冥道に一方は光道に別れて互いに進み居る姿を、暗に諷して動物性と人間性とに譬喩をなして示めしたるに他ならず。汝等衆人よ、この点に着眼して将来を推理せよ。然らば結果は明らかに知ることを得ん。我は斯くとのみ語りおくに止むべし。
我、斯かる宗教くさき事を論じたるは他ならず。汝等衆人は今後あやまちたる道を歩みて動物性の世界を組織するならば、人間性の世界は亡びて再び三度魔道に陥りて、天界に来るべき道を失する憂ひあるを慮って、汝等衆人をして迷はしめざらんがため語りたる迄なり。」


おそらくこの書を一見すれば、誰もがこれは宗教書であると思ってしまうに違いありません。でもこれは宗教を教える書ではなく、宇宙の大自然を科学する大哲学書とも云ふべきものなのです。よって歴史上の如何なる宗派にも当然帰属するものではないということを、ここで断言しておきます。そして今回私がインタネットでこの書の紹介をし、仮に未知日記を読んでみようかと云ふ人が現はれたとしても、私にとってはそれこそ、現世では一文の得にもならないと云ふことを、先ずは皆さんにご承知おき頂きたいと思います。もし賞賛があるとするなら、天に在す神の下僕方より、共に相携え、道行く同行を一人でも多く道につかしめたことへのお褒めの言葉なのかもしれません。もしあれば、それは充分すぎる程、十分な報謝なのです。
まして、この書籍一連を保管しておられる方は、営利の為に預かっているのではありません。その方は、その方の与へられた天命を全うせんがために、無償の行為を今日まで続けられ、尚かつこの教への宣布に今もなお、老体に鞭打って邁進しておられるだけなのです。彼は今年97才になられております。ブロクにも記しましたが東京におられる松尾東平さんです。



教主方は現人神として人間を尊崇し、更にそれを教祖として奉り、社や伽藍を作り、偶像を崇拝することを厳しく禁じられておられます。ですから当然、宗教法人などの設立などはもっての他と云ふことになります。そのかわり、各自の心の中に社を造り、それを心の神として拝むことを望んでおられます。よって会費もなければ、寄付するところさえもない。集会場もなければ、仏像やその他の偶像なども一切なし。あるのはこの未知日記と云ふ教典だけがあって、それを各自自分自身で学び、読み解き、そしてみずから行じてゆくことだけなのです。
中にはグループを作り、その仲間内で読み廻し、わからない箇所があれば皆で研究し、そして行じながら、自己に内在する魂霊を発見することを唯一の道としています。
今東京で一カ所、大阪にても一カ所、小さなグループによる研究会が立ち上がったそうです。全国にこういったグループが沢山できたらいいなと思います。私自身は家族でこの書を読みあっています。私にとって、この未知日記と云ふ書は座右の書など云ふものではなく、その概念を超える大きな大きな宝物なのです。
もし科学者の方がこれを読めば、現代科学の根幹をゆさぶる、大いなるヒントが数多く蔵されていることをも併せ附記しておきます。例へば澱粉、蛋白等を空気中から無尽蔵にとりだすこと。また現在使われている電気の研究を今一歩押し進めて、新しい電気(気光素電気なるもの)を作りだすことの急務。これを応用することによって、風害水害地震などの自然災害の未然防止が可能なこと。更にはより進んだ文明をもつ宇宙の星々との交信が可能となり、その進化した文明を学び取り、我々地球人が享受できること。又ガソリンのような剣呑な燃料から解放され、安全な乗物(ロケット、汽車、自動車に及ぶまで)の開発ができるようになるとのこと。その他数多くのテーマが随所に盛り込まれております。科学者にとってはまさに宝の山になると思います。すれば近き日、地球の物理科学は一変するだろう。その高次元の科学は人類に多大の恩恵と希望をもたらし、旧来までの「喰はんがために生きる」と云ふ貧しい人生観を一掃し、「道を得んがために喰う」と云ふ、より人間らしい人生観を鼓吹することはまちがいないと思います。
大事なことを言い忘れておりました。教主方と霊通のあったのは伊東慈音師だけではなく、この時期この地球上の幾千人かの人々にも、それぞれ独自に教え説かれているということです。それは学者もおれば、企業家、宗教者、政治家などありとあらゆる階層の人々にわたっておるものと推察いたします。勿論この未知日記の書が根幹になって、それを補完する形になっていることはいうまでもありません。ある時期に至れば、世界のあちこちから一斉蜂起するかたちで、燎原の火の如くこの教へが広まって行くことを説かれていますので紹介します。


「無学者の慈音に通じて、此書を残しおかば、何日は学者の為の資料となりて、大なる発見をなすことあらんと思ひてなり。是等の事柄は諸子の住へる地球上の人類のうち、慈音のみに限らず幾千人かの者に対して教へをなしつつあるによって、後世是等に属する書物が多く現はるることならん。然して其れ等の集まりが一致なしたる時、はじめて全人類が其れによって、向上発展の道を為し遂ぐること疑ひなしと語りおくものなり。軅て其日が近からん事を望む。」

「慈音よ。我等が汝に教へつつありたることは決して無意義にはあらず。汝は天界より是を見るあらん。我等の教へは次第に普及され、一部は削除せらるるあれば、一部は加わる等あれども原本はその儘残されん。各国は奪い合ひて是を読み、東洋は東洋人に、西洋は西洋人に委ねずば永遠の平和は望まれじとの声喧(かまびす)しくなり、日本を滅ぼすなかれの声、次第に起り来たらん。慈音よ汝の努力は決して無意味にはあらざるぞ。悲観せず気力を落とさず、教主の命に従い、生命あらん限り教へを受けて是を中外に発揚せよ。」と


皆さん、このことに驚かれませんか。かくも大掛かりで、且つ緻密な計画がこの未知日記の書には仕組まれているのです。今ここまで読んでくださっておられる方の中にはもうすでに辟易されている方も、大勢おられると思います。それも承知で、もっと話を複雑にしてみましょう。神の下僕方の計画は途方もなく遠大で、なおかつ深甚です。それはこの地球人一個の救済だけに止まらず、全宇宙へ向けて、この未知日記が同時放送されたのだと云ふことです。受け手は地球の伊東慈音一人だけではなく、全宇宙で何億ともいうべき人類が同時にこの放送を傍受したのです。教主方の言葉は私たちが話す人語ではなく、無言詞をもって語られます。それは言葉でない言葉、いわゆる相手方の霊に、直截語らしめる法なのです。よって民族、人種の別なく、くまなく思念がすべての人類に正確に伝ってゆき、それが受信者の語彙能力に応じるかたちで、それぞれがもつ国語に文章化されてゆくのです。



執筆されてからもう五十年の歳月が流れ、世紀も新しく変わりました。もうそろそろ、読まれる時節がめぐってきてもよさそうだがと、凡俗の身の私はかく考えます。でもすべては神様のはからいによること故、何日の日か時節が廻り、真に必要な時には自然と読まれてゆくもの推察いたします。しかし、例えこの書が、もう少し先の未来人の為のものであったとしても、今現在を生きている日本人の何人かでもいい、その方々にこの宝物を知らせたい気持ちで一杯なのです。
なぜ口語体で書かれなかったのでしょう。その方が現代人にはとても読みやすく、普及も速やかだったろうに。でも信じられない事ですが、この文語体の行間には法力をもって無言詞なるものが、あちこちに埋め込まれているからに他なりません。そうすることによって、この書を読む時、この法力が働き、自然と読むものの心を明らかにせしめんが為に、微妙なる細工が施されておるそうです。
教主は「此書は誰に見するも差支へなけれど正しく理解するにあらざれば見るも甲斐なし。故に読むものをして読ましめよ」と仰せられています。私には残念ながら才能には恵まれておりませんでしたが、これを読まれる読者の中には、必ずや才能ある方が数多おられるとことと思ひます。これを読み、今まで封印されていた自己の魂を見つけ、それを解き放ち、多くの人々の魂の覚醒の為に努力され、善なる方向に導いて頂くことを強く希求いたします。この書はこれからの人類の生き方、そして今後の地球の成り行きを、根本的に変化発展させる起爆力をもっていることは間違いございません。どうか数多くの方々に、この書の内容をお伝えください。
そして衛藤慈声と云ふ方のことについて一筆いたします。彼女ももうすでにこの世の人ではありません。全盲の伊東慈音が未知日記を執筆されていた間、慈音先生が点字を指し示し、それを衛藤さんが文字に書き写して、この書の完成の為に尽力されてきた方です。慈音先生の思い出と、これから未知日記の書を読まれる後輩者のために、下記の解説書を残されておりますので、3月27日のブログ併せて掲載させて頂きました。この解説を読まれることによって、本体にスムーズに入って行けるのではないかと思います。
本書を単に肉眼でもって軽々に読むのではなく、紙背に徹する心の眼(まなこ)、更には魂の眼(まなこ)をもって読むよう教主方は指導されています。大変難しいことですが私も頑張ります。皆さんもどうか頑張ってみてください。



今の地球の現状を見れば、学者ならずとも、
はたして私たちの孫子の時代まで、この地球生命がもつのだろうか、
と危惧する一般人はいま圧倒的に増えています。
やがて今後の時間の推移とともに、誰しもが人類史始まって以来の危急存亡の位置に、
いま地球が置かれあるのだということを、率直に認めざるを得なくなるような時が
来るでしょう。今後の世界の成り行きについて示唆されておる一文を未知日記より引用しますので、深く考慮してみてください。


おそらくこの書を一見すれば、誰もがこれは宗教書であると思ってしまうに違いありません。
でもこれは宗教を教える書ではなく、宇宙の大自然を科学する大哲学書とも云ふべきものなのです。
よって歴史上の如何なる宗派にも当然帰属するものではないということを、ここで一言しておきます。
そして今回私がインタネットでこの書の紹介をし、
仮に未知日記を読んでみようかと云ふ人が現はれたとしても、
私にとってはそれこそ、現世では一文の得にもならないと云ふことを、先ずは皆さんにご承知おき頂きたいと思います。
もし賞賛があるとするなら、天に在す神の下僕方より、
共に相携え、道行く同行を一人でも多く道につかしめたことへの
お褒めの言葉なのかもしれません。
もしあれば、それは充分すぎる程、十分な報謝なのです。
まして、この書籍一連を保管しておられる方は、営利の為に預かっているのではありません。
その方は、その方の与へられた天命を全うせんがために、
無償の行為を今日まで続けられ、尚かつこの教への宣布に今もなお、老体に鞭打って邁進しておられるだけなのです。
教主方は現人神として人間を尊崇し、更にそれを教祖として奉り、社や伽藍を作り、偶像を崇拝することを厳しく禁じられておられます。ですから当然、宗教法人などの設立などはもっての他と云ふことになります。
そのかわり、各自の心の中に社を造り、それを心の神として拝むことを望んでおられます。
よって会費もなければ、寄付するところさえもない。
集会場もなければ、仏像やその他の偶像なども一切なし。
あるのはこの未知日記と云ふ教典だけがあって、それを各自自分自身で学び、読み解き、そしてみずから行じてゆくことだけなのです。中にはグループを作り、その仲間内で読み廻し、わからない箇所があれば皆で研究し、そして行じながら、自己に内在する魂霊を発見することを唯一の道としています。
今東京で一カ所、大阪にても一カ所、小さなグループによる研究会が立ち上がったそうです。
全国にこういったグループが沢山できたらいいなと思います。
私自身は家族でこの書を読みあっています。
私にとって、この未知日記と云ふ書は座右の書など云ふものではなく、その概念を超える大きな大きな宝物なのです。
もし科学者の方がこれを読めば、現代科学の根幹をゆさぶる、
大いなるヒントが数多く蔵されていることをも併せ附記しておきます。例へば澱粉、蛋白等を空気中から無尽蔵にとりだすこと。
また現在使われている電気の研究を今一歩押し進めて、
新しい電気(気光素電気なるもの)を作りだすことの急務。
これを応用することによって、風害水害地震などの自然災害の未然防止が可能なこと。更にはより進んだ文明をもつ宇宙の星々との交信が可能となり、その進化した文明を学び取り、我々地球人が享受できること。又ガソリンのような剣呑な燃料から解放され、安全な乗物(ロケット、汽車、自動車に及ぶまで)の開発が
できるようになるとのこと。
その他数多くのテーマが随所に盛り込まれております。
科学者にとってはまさに宝の山になると思います。
すれば近き日、地球の物理科学は一変するだろうと思います。
その高次元の科学は人類に多大の恩恵と希望をもたらし、
旧来までの「喰はんがために生きる」と云ふ貧しき人生観を一掃し、
「道を得んがために喰う」と云ふ、より人間らしい人生観を鼓吹することはまちがいないと思います。
大事なことを言い忘れておりました。
教主方と霊通のあったのは伊東慈音師だけではなく、
この時期この地球上の幾千人かの人々にも、
それぞれ独自に教え説かれているということです。
それは学者もおれば、企業家、宗教者、政治家など
ありとあらゆる階層の人々にわたっておるものと推察いたします。勿論この未知日記の書が根幹になって、それを補完する形になっていることはいうまでもありません。
ある時期に至れば、世界のあちこちから一斉蜂起するかたちで、
燎原の火の如くこの教へが広まって行くことを説かれていますので紹介します。


「無学者の慈音に通じて、此書を残しおかば、
何日は学者の為の資料となりて、大なる発見をなすことあらんと思ひてなり。是等の事柄は諸子の住へる地球上の人類のうち、慈音のみに限らず幾千人かの者に対して教へをなしつつあるによって、後世是等に属する書物が多く現はるることならん。然して其れ等の集まりが一致なしたる時、はじめて全人類が其れによって、向上発展の道を為し遂ぐること疑ひなしと語りおくものなり。軅て其日が近からん事を望む。」


「慈音よ。我等が汝に教へつつありたることは決して無意義にはあらず。汝は天界より是を見るあらん。我等の教へは次第に普及され、一部は削除せらるるあれば、一部は加わる等あれども原本はその儘残されん。各国は奪い合ひて是を読み、東洋は東洋人に、西洋は西洋人に委ねずば永遠の平和は望まれじとの声喧(かまびす)しくなり、日本を滅ぼすなかれの声、次第に起り来たらん。慈音よ汝の努力は決して無意味にはあらざるぞ。
悲観せず気力を落とさず、教主の命に従い、生命あらん限り教へを受けて是を中外に発揚せよ。」と


皆さん、このことに驚かれませんか。かくも大掛かりで、
且つ緻密な計画がこの未知日記の書には仕組まれているのです。
今ここまで読んでくださっておられる方の中にはもうすでに辟易されている方も、
大勢おられると思います。それも承知で、もっと話を複雑にしてみましょう。
神の下僕方の計画は途方もなく遠大で、なおかつ深甚です。
それはこの地球人一個の救済だけに止まらず、全宇宙へ向けて、
この未知日記が同時放送されたのだと云ふことです。
受け手は地球の伊東慈音一人だけではなく、全宇宙で何億ともいうべき人類が同時にこの放送を傍受したのです。
教主方の言葉は私たちが話す人語ではなく、無言詞をもって語られます。それは言葉でない言葉、いわゆる相手方の霊に、直截語らしめる法なのです。よって民族、人種の別なく、くまなく思念があまねく人類に正確に伝ってゆき、それが受信者の語彙能力に応じるかたちで、それぞれがもつ国語に文章化されてゆくのです。


執筆されてからもう五十年の歳月が流れ、
世紀も新しく変わりました。もうそろそろ、読まれる時節がめぐってきても
よさそうだがと、凡俗の身の私はかく考えます。
でもすべては神様のはからいによること故、何日の日か時節が廻り、
真に必要な時には自然と読まれてゆくもの推察いたします。
しかし、例えこの書が、もう少し先の未来人の為のものであったとしても、今現在を生きている日本人の何人かでもいい、その方々にこの宝物を知らせたい
気持ちで一杯なのです。


「此書は誰に見するも差支へなけれど正しく理解するにあらざれば見るも甲斐なし。故に読むものをして読ましめよ」と仰せられています。
私には残念ながら才能には恵まれておりませんでしたが、
これを読まれる読者の中には、必ずや才能ある方が数多おられることと思ひます。これを読み、今まで封印されていた自己の魂を見つけ、それを解き放ち、多くの人々の魂の覚醒の為に努力され、善なる方向に導いて頂くことを強く希求いたします。
この書はこれからの人類の生き方、そして今後の地球の成り行きを、根本的に変化発展させる起爆力をもっていることは間違いございません。どうか数多くの方々に、この書の内容をお伝えください。


最後に次の頁から出てくる衛藤慈声と云ふ方のことについて一筆いたします。彼女ももうすでにこの世の人ではありません。
全盲の伊東慈音が未知日記を執筆されていた間、
慈音が点字を指し示し、それを衛藤さんが文字に書き写して、
この書の完成の為に尽力されてきた方です。
これから未知日記の書を読まれる後輩者のために、慈音先生の思い出と、下記の解説書を残されておりますので、併せて掲載させて頂きます。
この解説を読まれることによって、本体にスムーズに入って行けるのではないか
と思います。


どうか本書を単に肉眼でもって軽々に読むのではなく、
紙背に徹する心の眼(まなこ)、更には魂の眼(まなこ)をもって読むよう教主方は指導されています。大変難しいことですが私も頑張ります。皆さんもどうか頑張ってみてください。

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