覚者慈音11    ちょっと休憩   二つの名旅館を訪ねて

ちょつと休憩
二つの名旅館を訪ねて

  
 いまから何年か前、私の属するある組合の例会で、次の旅行は何処にいったら
いいかと、組合長が皆に下問した。あちらこちらから各地名、温泉候補が挙がった
と思う。
そこへ普段から寡黙な会員がいつになく唯一言,おもむろに語り給ふ。
「今迄そこら中の温泉巡りはやった。しかし何処へ行っても皆、大同小異というも
の、一遍、日本一の温泉地と云われる処に行ってみたいものだが、皆さんは如何に」

誰彼なく異口同音に、「日本一、それは和倉の加賀屋だ。それも別館の雪月花でな
ければならない云々」と。
これがそもそもの能登旅行企画の端緒であった。もう宿賃の多寡を口するものなど
誰もいなかったと記憶している。
流石に行ってみると、噂に違わず建物は豪華絢爛を誇り、1階の広いロビーでは、
赤い毛せんを敷き詰めた庭園の中程に、大きな番傘の下で和装に身を包んだ美女が
一人、琴を弾じていたのを今も峻烈に覚えている。
流れる曲は確か春の海だったか、と思う。
そして部屋に通じる廊下の各所には、香が焚かれていて芳香が漂い、自然と心を沈静
化させ和ませる。
先ず、部屋に入ると仲居さんが一人ずつ着物をあてがつてゆく。そのサイズは普通
は大中小に区分けされているものだが、ここでは何寸刻みになっていて豊富なサイ
ズ構成を採用していた。素人目にも、浴衣.半纏.帯どれをとってもみな上物だ。
また座椅子には鶯色の肉厚の座布団が二段重ねに置かれいて、身を置くと随分と身
体が沈んだものだ。おまけに座椅子の横には左右に立派な脇息が置かれていたのに
も驚かされた。早速そこへ抹茶と菓子が用意され、その次ぎに時間をおいて煎茶も
出された。部屋の大きさも凄かった。普通の部屋の三倍位の規模があったろう。し
かも室内の装飾は贅を尽くし、とても広々とした空間を保っていた。
一服した後、皆で最上階にある空中露天風呂に行く。これも当時この旅館の名物とされ、最新式の設計が施されていた。湯上がりの後、男五六人がその辺りをたむろしていると、
階上の露天風呂よりkちゃんが笑顔で手を振る。こちらもそれに呼応して全員が手
を振り返す。丁度、”伊豆の踊子”が身を乗り出して手を振る、あの名シ
ーンを思い出す。一方こちらの“能登の踊り子”は実年齢こそ四十路をとうに過ぎ
てはいたが、遠目には三十代。後姿などはまさに二十代の後半そのものであった。


 宴会時、仲居さんが行儀よく教育されているのにもまた感心した。誰も酒を勧め
ても飲もうとしないし、煙草などふかす人などもいない。まして下卑た会話などす
るものなど一人としていなかった。料理の器もすべて高級品を使用していたようだ。
仲居さんは運ばれてくる料理の一品一品に解説を添え、料理長の心を私達のような
一見の客にさえも、鄭重に伝えようとしていた。それも大きな馳走だ。いわば当時
この旅館は、日本一と云われるだけあってサービス業、ことに接待業に関するすべ
てのマニュアルがここに凝縮され、収斂化していたといっても過言ではないと思う。
とにかく、その普段から無口な会員さんの一言で私達は大名旅行が出来た。


そして何年かして、この組合で私たちは慰安旅行を行った。場所は芦原温泉の
開花亭である。今度の企画はすべて私が行い、何日も前からホテルの担当者と細部
に渡って交渉もし、準備もしてきた。この開花亭は以前、昭和天皇も泊まられたこ
とのある福井県の温泉場では一番著名で由緒ある宿でもある。
なにしろ庭園だけで3000坪の広さがあり、その池の大きさも尋常ではなかった。おおよそ1000坪の池にはたくさんの錦鯉がゆうゆうと泳いでいる。そして池の真ん中には蓮が幾株も繁茂していて、ピンクの可憐な花びらを広げている。男性の露天風呂はその庭に隣接し、風呂からの眺めも実に素晴らしい。その日も専属の植木職人、数人が庭木の
枝打ちをやっていた。樹木の多くはサツキを中心としているので、5月の花真っ盛
りの時はいかばかり美しい庭園になっているか、想像するに難くはない。
折角来たのだから、昭和天皇の泊まられた部屋もこっそり一人で覗きに行った。そ
こは一階の別棟に設けられ、部屋の数は5部屋ほどあった。一番広い部屋は50畳
ほどあって、ベランダからも池が見え、そこにも沢山の色とりどりの緋鯉が泳いでい
た。風呂は檜風呂で、普通の浴室の3倍位の大きさだ。建物全体は数寄屋風建築で
出来上がっていて、私のような素人目にも贅沢な趣向が施されているのが分かる。
ちようど写真で見る桂離宮の一部屋を見るような荘重な感じさえした。
かって、石原裕次郎が健在なりし頃、彼はよくその軍団を引き連れてこの宿で遊蕩
していたことはつとに有名である。
そこで一般の部屋はといえば、普通の旅館宿の1.5倍くらいのスペースを使って
いる。出された料理もさほど普通と変わらないように思った。唯、使っている器な
どの什器が高額なことを、仲居さんがさりげなく教えてくれる。夜と朝の食事の際
には、輪島塗の朱塗りの高台お膳と低い夜食膳が一式だされた。その二つのお膳だ
けでなんと30万円もするそうな。庭の膨大な管理費、それとこうした什器などが
セットされているために、やむなく高額の宿賃になってしまうわけだ。


それと宴会時のコンパニオンなども、普通の旅館に出入りする人たちと少し峻別さ
れているように聞く。彼女達は決して若くはないが、それ相応に洗練もされていて、
ただ単に客に酒をつぐだけでなく、客との会話を楽しませる術をも心得ていた。
私はその一人に、歳は幾つだと聞けば、彼女は幾つに見えるか当ててごらんと切り
返す。そうだな、32歳ぐらいかと云えば、残念でした。43歳になりますと云う。
「う~む。男の年齢だったらそんなには外れるわけはないけど、女の年齢を当てるの
 はなかなかむつかしもんやな」と私は云う。
 更にその女性は言葉を付け加えた。
「ねえ、お客さん、女性が美しくなるのはどんな時だと思う ?」
「さあ、うちの母ちゃんブスやから、そんなこと考えたこともねえな」と私が云えば
「それは素敵な恋をしている時と、美しい女性ばかりの集まる会にでている時なんで
 すよ」と、彼女はすかさず云う。
「ふ~ん。じゃあ、あんたは今恋をしている最中なんか ?」と問へば、
「うちの主人、今年病気で死んでしまったんや。でも、その人の面影が段々と生前中
 より、ずっとずっと魅力的になって、私の心をいま虜にしているんや。それが私の恋なんや。誰にも迷惑をかけない私の恋なんや」という。
「ふう~ん。じゃあ、生きてる男は誰もそいつにゃ敵わねえと言う訳か。なるほど男の
夭折、それもひとつの美学やな。でも、毎晩彼氏が枕元に立つのだったらいざ知らず。
それだけじゃあんたも本当は寂しいのと違うか?」と私は笑いながら答えた。


どんな業界も栄枯盛衰は世の習いと雖も、今あの雪月花と開花亭が旅行会社で格安
にパックされている。その現況を鑑みると、うたた今昔の感に堪えない思いがする。
あたかも昔、憧憬れた深窓の麗人が、今は身をやつし困窮している様を彷彿とさせ
るからだ。

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