覚者慈音10     円海大師の修行時代    インショウ、ミキョウ貴尊(円海大師)講義

円海大師の修業時代


今はセイキョウの座に居られる貴尊を私共は泰岳さんと云う親しい呼び名で先づ記憶に止めたのであった。当時,泰岳大師はコーセイ.ミキョウの座におられたのであるが,円海大師は門兄泰岳としてこだま会員たる私共に紹介され,その人となりについて記されている。
慈声記
 

円海大師講義



「何故斯かる書名(大痴大覚)選んだかと申しますと,私の先輩に泰岳と云う人がありまして,生れつき愚物でしたが子供の頃から寺参詣が好きで夜が明けてから眠るまで,ブツブツと云いながら拝むので坊主にしようと寺に頼んで出家させようとしたが一ヶ月足らずで断はられて望みは叶はなかったと云う愚物だったのです。処が丁度私の師の坊が巡行の途次,この小児をみて何か思い当たることがあったものか,徒弟として山に連れ帰ったが「オン.アビラウンケン.ソハカ」を教えるのに一ヶ月を要したと笑って居られました。それだけでも愚かさの程度はお分かりじゃろ。
其の泰岳が大悟を得たと云へば,慈音さん,不思議とは思ひませんかな。
丁度私が入山を許された頃には彼の人は徒弟中の上位に置かれて,他の徒弟達に法力を伝授しておりました。見るとその技量の優れているには唯ただ驚嘆の他ありませんでした。「霧開きの法」をなすにも普通は四五間より払えませんが,彼が払うと六,七〇間を払ぅて其れが急にふさがらないには,初心の私は眼を円くしたものでした。彼は師の云わるるほど愚かだったろうかと師の坊をさえ疑われるほどでしたが,大日経一巻を覚えるのに十一年かかつたと聞きましては成る程と思いました。師の坊の云われますには「彼は心の者ではなく,魂の者ぢや。」と
師の坊が初めて彼に会った時,その合掌して居る姿に心惹かれて徒弟にしたと云うことです。彼は小柄で丁度慈音さん位な人でしたな。其れぢやのに彼の警蹕の声ときたら実に素晴らしいものでどんな猛獣でも尾を巻いて逃げてしまうという実にものすごいものでしたから,大抵の人なら気絶するでしょう。徒弟仲間すら震え上がったものでした。其れが食事でも徒弟の一食分が彼の二食分ぢやのに彼は肥満して,健康は人に越えて優れて居るのぢやから。不思議な身体の持ち主です。
師の坊は云われますには「法としては吾に学べ,然し正しき信仰は泰岳に学べ」とな
「同じ呪文を称へても,彼の如く効果はありません。彼は法力を行う時,軽く呪文を唱えておるのに効果は顕著ですが,他の者が力一杯気力をこめて一生懸命やっても彼の半分にも及びません」
更に,円海大師は
「我等の門兄泰岳と云へる者は生来世間より愚物と云われたる人なり。然るに彼は行力も衆人に優れて行者の上位に置かれ,多くの徒弟より敬われたり。多くの徒弟は彼に教へを乞へば,彼は知らずとのみなるに其れにて満足すべき回答は得らるると云う不思議なる法力,不可思議なる天分を有する人なりき。即ち,彼は霊的信仰の人にして,精神信仰,肉体信仰のひとにあらず。生れながらにして霊的信仰の持ち主なりしなり。所謂,彼は霊的信仰によって精神及び肉体共に支配なし居るなり。」と述べられた。「大痴大覚」は行者の言葉で認められ行者達の間に保管されて今尚下界には不出の書である。教主は泰岳大師について
「我,先に語りし如く,汝等諸子の世界の常識,学問は天界に通ぜずと語りおきしは是なり。我の云ふ聖者とは天界を知る学者を云ふなり。故に泰岳は汝等の世界にてこそ愚者と言はれる人なれど,天界より見るときは彼は愚者にあらず,聖者なりしなり。故に昇天したるなり。
彼は心身の人に在らず,魂霊の人にして,無言詞を聞く力備はりありたるによりて幼き時よりたえず天界を観望して,そして大自然に順応して唯ただ拝みを持続し居りたるなり。既に彼は肉体を下界に置き,その他すべては霊界の人なりしなり。さればこそ師のもとにありて行を営み居りても一般徒弟とは異なり,伎倆衆に優れたる力を備へり居りて徒弟より慕われ,種々様々な質問を受けたる時,「我は知らず」と答へ居りしは心身の姿が下界の人と同様の学問のわきまえなかりし為,愚者の如く見へたるのみにて彼には教ゆべき言葉を知らねば無言詞によって法を教へ居りたるまでにて,決して愚者にはあらざりしなり。全て心身を魂霊に任せ居らぱ斯くも不思議なる具備を有するが故に,一般人とは全くかけ離れたる姿に化せられ居るに過ぎず。故に一般人より見る時は彼は全く愚者の如く思われ居りたるなり。」と
「大霊界」において其の人となりを解説されて居るのである。是は人間組織の複雑さを物語るものである。



私(円海)は彼に訊きました。「貴下は何が一番嫌いですか」とすると彼は「わしは殺生は大嫌ひじゃ他には好きも嫌いもない。」と言はれました。其処で私は、「では貴下は殺生はしませんか」と念を押すと、「決してせぬ」と云ひますので其れでは「日々の食事は殺生ではないのですか」と、彼を試す心算の悪疑心から揶揄半分訊いた事が、私にとっては生涯修行の一大教訓となろうとは夢にも知りませんでした。
慈音さん、彼は何と答へたと思ひますか。斯うなんです。彼は真面目になって私を睨みつけて重い口調で斯う云ひました。
「お前は食事をするのを殺生で喰ふのか。そんな事ぢゃから、わしの倍も喰てやせるのぢゃ。何故物を活かして喰はぬのぢゃ。死んだものでも又活かせ。生きたものなら死なぬようにして喰へ。死んだものを活して使へ。わしは殺生は嫌ひぢゃ殺生するものは尚嫌ひぢゃ。」と恐ろしい権幕に睨まれた時は、さすが図々しい私も彼の前に頭を下げない訳には行かなかったのです。
私は其の事を師の坊に申しあげますと、師の坊は暫時考へて居られましたが何を思はれたのか、全部の徒弟を集めて彼等の錫杖を一カ所にならべさせ、「泰岳よ、この中にある汝の杖はどれじゃ、其処から指して見よ。」と云はれますと、彼は立とうとも見ようともせず唯大声で「杖、来い、杖、来い」と二声云ふと、一本の錫杖はすべるように彼の手元に行きました。彼は静かに是を師の前に差し出して「是でございます。」と我名も見ようとせずさし出しました。師の坊は姓名を見ると杖には彼の名はたしかにしるされて居ります。他の弟子達は是を見て泰岳は師の前をも憚らず魔法を使ったとさわぎたてるのを師の坊は、手を振って是を止め、「汝等静かにせよ。泰岳は魔法を用いるならば我は許さじ。さりながら今彼の行ひしはけっして魔法にあらず。真実なり。円海よ。是によりて彼のことばは明らかに察するを得たれば、我、彼に代はって汝等すべてに説き聴かせん。我、彼の法力を見るに決して優れたるにあらず。寧ろ汝等の業は優れたり。然るに効果の点に至って到底汝等の及ばざること、遙かに遠き見て、我は彼の天分の然らしむる所ならんと思ひ居たりしは誤りなりしことを彼の言葉によりて知ることを得たり。即ち彼はすべてを活かして用い居るなり。言葉も呪文も活かして用い居るなり。汝等の行法は活かさんとして業行ひ、彼は最初より活かして用ゆ。いかすといかさんとなすとの相違は、斯くも隔たりあるならんかと我も教へられたり。いきたる行、いきたる呪文、さては言葉に至る迄彼はいかして用い居るなり。」と すぐる日、我の許に宿を求めて来りし行者が、夜荷物の中より尊像を取り出して勤行中礼拝なし居るを、泰岳は訝しげに眺め居たりが勤行終るや、彼の行者にむかいて云ふよう、「其の像は神の造りしものなるか。人の造りしものなるか」と行者少時呆然(ぼうぜん)たりしが徐(おもむろ)に口を開き、「汝等も修行者なれば何故に斯かる質問をなすや。」と泰岳直ちに、「我、行者なるによってきくなり。」と修行者曰く、「さらば我、神の造りしと云はば汝、何とするや。」泰岳曰く、「然りとならば、何故生をうけざりしかと訊んのみ。」行者訝りて、「そは何故ぞ。」泰岳曰く「其像は死し居るによってなり。」と憚らず答へたるに行者色をなし、「この尊像を死物とは過言ならずや。」泰岳曰く「死し居る故に死せりと云ひしのみ。過言にあらず。汝、尊き尊像ならば、我にしるしを示めせ。」行者曰く「汝、死物と公言するならば我にしるしを見せよ。」泰岳曰く、「訳も無きことなり。我、二〇間をへだて、警蹕(けいひつ)の声を出して、尊像に異状なく、我に異状を与ふればその像には生あり。されどその像、飛散するならば死物と知れよ。」とて、彼は二〇間余も離れし場所より警蹕(けいひつ)の声を放ちしに像は飛散し、行者もその場に倒れたり。行者はその像を地上にたたきつけて其の夜下山したりと、他の徒弟より我はききたる事ありしが、あまり心に止めざりしが今思ひあたる事あり。彼、泰岳はすべての理論を超越して宇宙を己自らとして其の儘を我手足の如く働かせ居るを知りたり。神は泰岳の如き物を娑婆に下して神の道の真髄を一般に示めし給ひしならんと思ふなり。汝等、信仰の法を彼を手本として学ぶべしと。

×

非ログインユーザーとして返信する