感応論  第四巻   思ひを広く貯へよ  その1   テツシン貴尊講義  2021.01.08


感応論  第四巻   思ひを広く貯えよ    テッシン貴尊講義  2021.01.10

 
  老翁の子を思ふ心は一筋にして神の心は広し。老翁の心は子の身の上にのみ凝り固まりて他に通ずる力はうすし。神の心は広く物に偏せざるが故に一般に通ず。所謂老翁は一に執着し神は万般に通ふ。老翁には相互関係あり。神には我なし。よしや老翁には利己なしと云ふとも利家心あり。我なしとするも家あればなり。
 神は一切我と云ふものも家も国も宇宙も無ければすべては広し。俗言に「凝っては思案にあたはず」と云ふは宜しけれども、凝りすぎるは宜しからず。何となれば物に凝りて是に囚はるれば他に耳をかさずして利益は却て、失する事多ければなり。広き心にて研究する時、他にも耳をかし、是が参考資料となりて、却て促進する利益あるものなれば広くすべし。心を広くせざれば遊魂帰魂の範囲はせまし。思ひせまれば遊魂帰魂の範囲も亦せまければ働きの力少なし。されば汝等思ひをすべてにかけしめよ。然りと雖も自分に囚はるるは思ひにあらずして気となる故なり。
  父、刀を振りかざして池水の月を切らんとす。其子、是を見て、
 「何の為に斯る事をなさんとするや」と。
 「汝の祖父は此月のみずに映れるを見んとて、誤って池水に落ちて溺れ死したり。されば 月は祖父の仇なれば是を切らんとす」と。小児曰く、
 「月は仇なりとて切るも詮なし。我思ふに水は仇ならん。されば此水を埋めなば月も映らず。今後は人も死せず。然して仇は返へさるならん」と。
 父は是を聞きて恥たりと云へる事を聞きたり。余りに一方に偏りてものに凝りたれば斯る愚に陥る。されど小児の如く天真爛漫にて思ひ広ければ、父にも勝る智慧は働くなり。汝等にして斯るためしはあるならん。よく翫味すべきことにこそ。思ひを広く貯へて物事を処理すれば小児が云ひし如く、すべてに通じて、その後水に溺るる人も無からんと云ふ。あはれ慈悲と変らん。広きとて空漠ならざる用心肝要なり。唯空漠として為すを知らざるは迂闊にして広きにあらず。却て迷ひとなるなり。迷ひてなすを知らざるは思ひせまければなり。思ひ広くしてすべてに拘泥せずんば通ぜずと云ふことなけん。我に囚はるるは自由を失す。是束縛の縄目にして心を縛り、魂を縛る故に放心したるにはあらず。放心放魂せずんば如何でか帰心帰魂のあるべきにあらざるなり。

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