感応論   第四巻   帰魂と留魄の意義 その2   テツシン貴尊講義  2021.01.07


感応論   第四巻   帰魂と留魄の意義 その2   テツシン貴尊講義
 2021.01.07

<続き>

 軈てくもりし空は雨をもたらせしが、老翁の前を通りぬけんとせし一人の男ありけるに、不思議やその雨傘自ら開きて、彼の肩にたちぬらさざるを見たる老翁、彼にむかひて「汝は真の人なり。此傘を参らすべければ、心おきなく去るべし。されど我、汝に一言の依頼あり。そは他事ならず。我に一人の男子ありけるが、此者幼時には心清くして此傘を直に持てり。然るに年長る及びて曲り行き、家を出でて何処に行きしや知れず。我、彼をたづね求めて今日に至るも知れざるなり。若し汝が此傘を持ち居らば、何かの縁にて会はんも知れじ。然る時は父が我児に此傘を用いる人となれよと伝へ呉れよ」と、言葉を残して悄然と立ち去れり。
 然るに年経て傘を得たる人の許に訪ね来りし一人の壮者ありて云ふよう。
「汝は魔法の傘を持てりと聞く。我家にも是と同様のものありしが、我是を持つあたはざりき。願はくばその傘を我に一目見せしめんことを願ふなり」と。是を聞きて彼、傘を見せしに、壮者は是を手にとりしが直になりしのみか、彼の肩にたちたれば、持主大に悦び、
「其傘こそは汝が家の宝なりしなり。我、汝の父より依頼を受け居たる傘なれば汝に返さん。とく帰りて父に感謝し、且つ孝養を怠る勿れ」と。是も道話の一なり。面白き道話ならずや。汝等此話を修養の手本として如何に解釈なさんとするや。我、思ふに先づ魔法の傘より考へを引き出さざるべからず。傘は即ち慈悲なるべし。此慈悲こそ正しき者には正しく与へ、正しからずば慈悲ありとの教へありとのさとしとなりて知らしむるのみにて、恵は正しくなる迄留保せらるるなり。
 次に己が心を試さんとなせる群衆の心理は唯興味にして所謂娯楽半分の悪戯にすぎず。故に恥のみさらせど、己が不善を改め反省するは少なし。是世間一般大衆の心構へを教ゆるなり。又雨降り来りて通行人の肩に乗りて彼をぬらさざるは、即ち天は正しき者には願はずとも、求めずとも恩恵は賜ふとの教へを表はす。さて是よりは真の教訓なり。是に留意して汝等は深く考へ見るべし。
 老翁の子を思ふ一心にて放浪の旅を重ね、家出せし子に廻り会はんと、唯一の宝をたよりとしてたづね求むる親心は、神の愛に比して相違あり。是子の愛に執着しあるは広き愛にあらざればなり。されど神の愛は広きが故に、この老翁を見すて給はず。此通行者を択びしなり。ここに於て老翁は親子の絆を断ち執着をはなれ、宝を彼に与へて去れるなり。されど親の念力は神の慈悲あればこそ、不孝の子は無明の暗より光明の世界に救はれ、本然幼時の姿にかへりしなり。斯く考へ来れば整いたる魂魄の理は明らむる事を得たるならん。
 人間愛と神の愛とのへだたりは、この道話に於てすら斯くも相違あるなり。まして真実に於てをや。汝等魂魄が心意に及ぼす愛と、霊が魂魄に及ぼす愛との比較は、魔法の傘の例に徴すも明白に知る事を得たるならん。魂魄の心意に対する愛は人間性にして、霊の愛は神の如くに似て広く深きなり。整ひし魂魄は霊に従はざれば得ること難し。汝等努力せよ。

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