感応論   第四巻   帰魂と留魄の意義   テツシン貴尊講義  2021.01.07

感応論   第四巻   帰魂と留魄の意義   テツシン貴尊講義  2021.01.07


 彼は最初より此計画をたてたりとせば非常なる努力を要したるならん。是を魂魄について考へ見れば先づ計画の際魂が魄を虐げて実行に入ると仮定すれば、他を欺んが為に蕎麦をのみ常食とする練習をせざるべからず。然る時、魂魄は常に争闘の絶間なからん。是を克服せんとする苦痛は可成りの努力なり。此魂魄の争闘の結果の現はれが後に美はしき雪隠となりて美食の満足となりても、其美味も真の美味にはなし難からん。又欺かんとのたくらみにもかくれて食するは美味にはあらざるべし。是魄の同意なき故なり。又行中より変心したる行者と見るに、是はやや其趣きを異にす。
 彼は初めは信仰により度脱を計らんとて行に励み居たれど、研する毎に苦痛の益々加ふるに及び薄弱なる意志のため苦痛に不堪、法を破りて普通食を摂取に及びては、其味忘れかねて棄執着は帰執着となるに至れり。然れども今迄の修行にも未練残りて果は全く悪行を犯すに至れるなり。前説と異なる所は、肉体に苦悶を感ぜし時、心意魂魄は同意したる事なり。魂魄は意志と和合したるなり。されど蔭にかくれし霊は何とて是を許すことあるべき。「悪盛んなれば天に勝ち、天定まりて人に勝つの」の譬喩の如くなれるなり。
 さて彼は今迄の行を空しく捨てんより、是を応用して愚人を欺きあはよくば、己神の如くに敬はれんと計り神に背をむくるに至りたり。彼は内心霊の為に責めらるるも改めず、外を怖れて斯る挙に出でたれど、食事の美は真の美にあらず。外には人の怖れあり、内には霊の呵責あり。彼の表面は平静を装ふの三つの苦みとなりて終る生涯は憫ならずや。その後の苦痛は滅後にも及ぼす事と、汝等考慮に入れて考ふべし。帰魂留魄完全ならざれば斯る罪を犯す結果となる。されば魂魄は平行して修行せざるべからず。山伏も最初より世を欺んとの計画は別として中途より堕落したるは意魄の優柔不断より起れる故なり。さればこそ魂は此修行に未練執着を感じ、魄より悪を強いられたるなり。魄は即ち慈悲心を肉体の為になせし結果となりたるなり。所謂俗界に云ふ母は我児に犬可愛がりをなしたるなり。夫と妻の知識の程度に格段の相違ある時は往々この種に見る誤ありて、家おだやかならざる事多かるべし。故に留魄帰魂の大切なる事は山伏の例によりてよくよく考えて誤らぬ工夫を要せん。山伏は及ばぬ希望をたてて前後のわきまへなく道に入りしは、己が天分に反したるか、或は意志薄弱なりしかによる。汝等も一度道を歩まんとせば中途に於て挫折せば、山伏と同様の運命に陥る憂ひあらん。されば魂魄を平行せしめて共に相寄り助けて帰魂留魄に於て力は力は平行して優劣なきよう、遊魂しある間に魄も修養なしおくべし。

×

非ログインユーザーとして返信する