感応論   第四巻   帰魂と留魄の意義   テツシン貴尊講義  2021.01.04



感応論   第四巻   帰魂と留魄の意義   テツシン貴尊講義  2021.01.04


  我身を顧みる云ふはもとより帰魂に合と雖も決して完全なる帰魂とは云ひ難し。何となれば内を守る魄の力の優れたれば帰魂する要もなく、外の活躍をなすとも安全なればなり。故に魄の力の発達充分ならざるべからず。魄劣れるを以て魂は帰らざるを得ず。帰らざれば要を弁ずるあたはざればなり。されば魄を充分に磨かざるべからず。是を磨く法はとの問に対して、我は一言にして答ふ。即ち肉体を正しくせよと。汝等は常に他人前にては身を整へ威儀を正し居れど、他人の眼なければ起挙動作にゆるみがちなる態度をなし居るにてはあらざるか。是を夫婦の例にとり語らば、夫が職務に出でし後、妻は勝手気儘の動作行動をなすに等し。斯る家庭にては夫婦一体とは云ひ難からん。夫の労苦に酬ゆる内助の功を以てして始めて家運は開くは当然なるべし。
 譬喩にも心頭を滅却すれば火も亦冷なりと云ふにあらずや。心の灯火、魂の光も意の灯心魄の油のありてなり。その油の絶ゆるあらば如何でか光明は輝くべき。汝等よく此理を悟りて身体を整へ常に油断せず魂に明るき光明を与ふる事に留意せよ。

 さる処に一人の山伏ありて常に人里に出でては、我は蕎麦を食物として一切火のものは食せず、然るに斯くも健康なりと云ひふらし、人も是を信じて蕎麦仙人と伝へて、皆其徳に従ひ多くの献物などなし居たり。彼はその財宝にて一個の堂を建設しその裏に見事なる雪隠を建てたり。人審しみて「何故に斯る美しき厠を造りしや」と。彼云ふよう、
「人は立派なる座敷を造れど厠をおろそかにす。厠は最も汚れたる場所なれば、汚れし処を尚汚すは悪し。汚れし処に一層の心を用いて美はしき心構へなかるべからず。故に多くの信者に是を教へんと思ひて斯くはなしたるなり」と。是を聞きて信仰は益々たかまれり。然るに何ぞ計らん。此雪隠こそ山伏が飲食する秘密室なる事発覚して徳も信仰もすたれたりと云ふ道話あり。汝等は此道話を無意味に聞く事なく、此理に比して深く考へて身を省察せよ。
我、汝等に考へよと諭せしは山伏の悪行為にあらず。もとより悪因悪果なれば何日かは露顕するは勿論なれど、その行ひの経路を帰魂留魄の修行について考へ見よと云ふなり。もし彼最初より計画して欺んとなせしか。或は中途より変心して斯る挙に出しかの両方面より判定を下し見よ。

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