感応論   第四巻   自己を省察するとは帰魂と関係ありや   テツシン貴尊講義  2021.01.02.


感応論   第四巻   自己を省察するとは帰魂と関係ありや   テツシン貴尊講義  2021.01.02


  聖人君子は日に三度、我身を省顧る云ふ。仏教にては脚下を省顧せよと云ひ居れり。他宗教にもこの譬喩少なからず。世俗にすら身をつねって人の痛さを知れとあるはもとより、その譬喩は思ひやりの意味ならんも、我身をひねるは自顧の意味髣髴(ほうふつ)たるあらん。家を修むれば家治まり、家を治むものは国を治む。国治まりて平なりともあり。身を治むるとは我身を慎み顧みて過失なからしめずんば、身は修むるものにあらず。人は他人の行為には着目して彼是の批判をなせど、我身の事は案外棚に上げ居るものなり。「他人のふり見て我ふり見て我ふりをなほせ」の譬喩もあり。汝等無くて七癖の俗言を口にしながら我癖をなほさぬのみか、人に心づけられて成程と己を感心なし居る不心得者さへあるなり。汝等身を省ると云ふは唯忘れ居る事を思出す如く思ふならん。
 然し是は心得違ひにして省みるとは魂を外よりよび戻す、即ち帰魂せしむるを云ふにて、思ひ出すは意の働せかたなれば、この区別は明白に知らざるべからず。汝等は戦争下の最中に在りて唯なす処を知らず、迷ひに迷ひ惑はさるるにまかせて周章狼狽するは何事ぞ。戦ひ始まりし時より今日を知り居らばさのみ驚くには足らざりしならんも、戦へば勝つとのみ思ひて、我身の安全なりし間は、食に思ひを致し、危くなるに及びて今更に狼狽するは我身を顧ざる咎ならずや。戦争は敗くるあれば又勝もあり。連戦連勝すると思ふは誤なり。我身を省みて覚悟しあれば勝も敗くる狼狽なすものにあらず。我身を顧る事こそ即ち帰魂したるなり。されば必死必勝の信念をもて戦ひ敗北の時の覚悟あらば、戦ひは必ず勝との信念を強くして聊かの事に動ずる事なき心構へありてこそと我は信ず。悲観は禁物なり。何となれば悲観は臆病なり。臆すれば既に敗をとりたるに等しければなり。さりとて楽観は禁物なり。何となれば楽観は油断を生ずればなり。常に平素の気分とかはる事なくおちつきて油断なきか、悲観なきかと我身を顧みて静かに戦局を見守るにしかずと注意するなり。

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