覚者慈音204  大霊界  果たして相対絶対の区別ありや  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO156
 果して相対絶対の区別ありや        その5                                                    教主寛大 講述


 二流界の人間は男女の区別はあれど彼等は決して傷くことなし。空の海に育ちて職衣を纏はしめられて、初めて此界の人間となるのみ。如何なる所に到るも傷くことなく病むことなし。されど男女の区別はあるなり。斯ることを語るとも諸子には理解し難からん。空海に生るるものならば男女の必要はあらざる筈なるに不拘、何故男女の区を定めしやと云ふ疑心もあるならん。是には深き理由ありてのことなり。二流界と雖も界には皆其々異なりたる任務を架せられ居るによって、陽性は男子として働き、陰性は女子として働く。皆其々与へられたる職責を全うせんがための任務あるによって、男女の区は定められたるものにて、男性なるが故に尊しとか、女性なるが故に卑しとか尊卑の区別を考ふれば、其は大なる誤謬にて尊卑の区を考ふるは虚心なるが故なり。汝等諸子は虚なる肉体を重要視して、尊卑の区を定め居るはみな虚なり。早く虚心を捨てざるべからず。空心を以て肉体を観望せよ。然らずば大切なる修養をなすこと難し。空心より肉体を見ると、虚心より肉体を見るとの相違は雲泥の差あることに心せざるべからず。老若男女を区別するは虚心なり。空心となりて是を観望せば老若男女の区別はあらざるなり。尊ぶ心卑しむ心と云ふも皆虚心なり。虚の考へは正しからず。空の考へならでは確実なるものを見きはむること難し。汝等諸子は乞食を卑しと思ひ大臣を尊しと思ふならん。我等の眼より見る時は大臣とて乞食とて尊卑の区を考ふるものにあらず。行為の上に於て正しければ乞食も尊し。正しからずば大臣も卑し。何ぞ尊卑の区別あらんや。天理に合ふ行為をなすものにのみ神は是を嘉し給ふ。神はすべてを愛すと雖も、正しからざる行為をなさば定められたる法則に反するが故に、倒るることを知り給ふによりて、傷かざる道を歩ましめんとなされ居るなり。神の法則とは即ち自然の法則なるによって、神が直接にこれを罰し給ふにはあらざるなり。法則に従はざれば傷くのみ。神は人に対してのみにあらず。全宇宙の万物悉くに恩恵を与へんとして定められたる法則なるが故に、自然の力は決して曲げらるるものにあらず。又克服せらるるものにもあらざるなり。自然の法則こそ空と云ふなり。不自然の法則とならば虚に化せらるることは論ずる迄もなし。虚心となる勿れ。空心となるべし。空心のことを知らざる諸子は虚と空を混同して考ふるがゆえに、その真髄を究むること能はざるのみ。ここに注意を払はずば目的は達し難しと承知せよ。

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