こだま会講演日記    第八十一回   坂本通博 筆記

泰岳貴尊講義


 半呼吸、上滑りの呼吸をして居るから中に悪いものがたまり、桶の水の底に悪いものが沈殿して上の水が澄んでいる様なものだから、底まで洗はねばならぬ。そして〇まる信仰にすべし。信じた以上は徹底的でなければならぬ。
例ひ迷信と言はれても、正信迷信を嫌はず、半信仰だから油断する。
賢愚を論ずる事なかれ。
迷信は教へない。
円海等はあなた方の身体を常住坐臥抱いて居る。
円海にさへ抱かれて居ればそれでいいのだと言ふ丈の信仰を持つこと。
いつも皆は円海を離れている。その親の眼を逃れているから怪我をする。親が居るか居るかと振り返って居さへすればよい。
円海はいつも抱いて居る、にも拘らず、円海を忘れてしまふ。
あまりに自分の智慧に頼り過ぎて居る。
信仰は愚者、智者に勝る。
智者の振る舞ひをせず、唯一向に念仏せよ。智の振る舞ひをするから愚になる。
唯信仰する力さへあれば、即ち唯円海に寝た間も抱かれて居ればよい。
そこまでまかし切れないから半信仰になる。神を信ずるなら、神に又仏にまかせればよい。
そこまでまかし切る事が出来れば信仰はできたもの。
「突っ張りの雲の下」と言ふが皆はあぶない所に住んで居る。こんな所でも安心して住居している諸子ならば、それを守ってくれて居る円海にまかしきれない事はあるまい。
かしこぶって自分の智慧で何かすれば、自分の身体に傷つくだけ。
智慧にほこるは肉体が丈夫だと思ふからだ。之はいっころっと死ぬかもわからない。何のかのとこんな危ない身体を持って居て心配する暇に円海に任せる事。
日々ああだこうだと苦労しているのは心の雲がかかっているからだ。
あくせく、くよくよどうしたらよかろうと考へる。
たましひにまかせれば安心して暮らせる。
いつもにこにこして居られる丈の修養修行せよ。その人は愚者にあらず。賢者なり。
私は愚者と言はれても、偉いと言はれても笑っていた。唯まんまん様と言っていた。母と一緒に暮らしていても、師の所に暮らしていても、母と暮らしている同じであった。
神様は眼に見えず、身体には感じなかったが何か知らぬが拝まされていた。
おぼへよう悟ろうとして悟ったのでなく、唯自然に天界が教へられた。
見えないしわからないからついうっかりする。之は離れたるなり。
この時悪魔がかきみだす。
間、すきが出来ると間にヌーッと垢が心の中に溜まってくる。
何処にいてどんな目に合っていて、円海が守っていることを忘れず、円海がついていてやらしてくれるからよく出来ると思ってやる。神に参る時丈手洗って口ゆすぐ。
人間の手程汚いものの付きやすいものはない。
口から悪いものを吸はない様に。
「みそぎ」身の垢をそぐ
質問に対する答
心、   之は心の上昇した時、律になった時を言ふ。
意、   心が落ち着いた時は意・・・・呂
之等は心だけ動かして居る。之は短呼吸。
意と魄  いつも頭腹が一つににらねばいけない。


深呼吸  浅呼吸


肉体も之に従って長呼吸  短呼吸
気が落ち着いたと言ふ様では心意が動いている。
心はたましひに返し   心をたましひに移す法
意は魄にかへす。    之が魂発見法
朝起きて何とも言へない感あるのは魂。
ああ気持ちがいいなあと言ふのは短呼吸
自問自答    深い自問自答
自分の心で自分のたましひをハット拝む。そうすると腹の底から何か気体がスーッと上がって来て正しい答えをくれる。
そうして常に心を平らにしてにこにこする。

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