こだま会講演日記    第八十回   坂本通博 筆記

一月二十六日


 尺度計を一分二分と言ふものから五分一寸と作り上げて来たのは、数学から割り出して来たもの。之は前にも順八逆六・・・と書き、振動数と尺とは反比例すると話した。
これ皆算数から割り出したもの。
八卦もそうであり、易は算数の延長である。空にも叶い、実にも叶ふ。
空の範囲は広い。之を尺度計で計るのは困難だから、実の加減乗除から比例分数・・・・・代数と言ふ風に延長されて三角・・・・・関数(?)。
これが進むと易になり又哲学となる。易は有機数学で哲学は無機数学と言ったのは之である。私は易の秘伝を聞いてはじめて数学はどこまで行っても尽きないものだと気が付いた。
数学が現在の様に進んでも解決できないもの、数学でなりたたないものが随分ある。近頃高等数学をやる人が苦しんで居る。之が易で究めると解決できる事である。

数学が進めば易は重要視される時が来るかもしれない。
二元方程式。甲乙二数あり、和は八にして積は十五なり。
X+Y=八、    XY=十五
X=3又は5    Y=3又は5
又はと言ふのは正解にあらず。或はと言ふまぎらはしい物が入り、Xが3か5かわからない。之を易学で解くと正しく出る。
X+Y=8  8は坤=未申 一から八を生み、八から三を生む。申は九=三の自乗。Xは即ち三、と確定する事が出来る。
Xは五ではないか。八から三・・・・十(順八逆六)。之から五が生まれる。だから三が先。
之で一分と言ふ分が出て居る。
一分の倍、二分、之の倍四分、倍八分、倍十六分となる。
音楽ではオクターブ、倍音と言って居る。
今年生まれた人が辰年ならば、倍の辰年(十三目)
之で一階音、オクターブ。
之に十二を足して行けば二十五、又辰年。
はじめの辰年と二番目の辰は同じ辰年でもちがふ。
この違いを十干で指す。初めの辰が木ノエ辰とすれば、十三目の辰は木ノエにならない。

之に又九星が加はる。はじめ一白木ノエ子の人が、元の一白木ノエ子なるは百八十一回目。之は同じかと言へばさにあらず。之は又一階音違ふ。百八十一年と言ふオクターブ。のちがひあり。
尺は同じでも振動数が変る。
この三法丈では又不充分。百八十一年目が尺度では同じでも、振動数でちがふ。之は気ではかるより外なし。
人間にとって霊と言ふものが無かったら空しいもの。

心と肉体とたましひは九星干支で計る。
その運命゛未知数゛を既知数にするには、霊の尺度がなければならなぬ。
之は人間にとって一番必要。
全宇宙の大霊を計るのが易学の秘伝。之をかくすにあらず。それ丈熱中して学ぶ人がないのである。取り出す丈の力がないからわからない。
之を取り出して修養修行の糧にしてもらいたい。
人間は最高動物だとして進んで居るから迷ふ。

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