こだま会講演日記    第八十二回   坂本通博 筆記

二月二日


人間の生活は気の生活、心の生活、魂(たましひ)の生活と言ふ風に分けて考へる事が出来る。尺度計も同じ。も一段うえになると霊の生活。
皆は心の生活をしている。だからたましひを見付ける事は出来ない。病気をした者でないと病気の味はわからない。戦争も、した者でないとその味はわからない。
自分が経験して、病らって見て、はじめて人の苦しさや痛さがわかる。
之が尺度計の要素。
患った事のある人が尺度計をもって行くと、その病人の苦しさの程度がピタリとわかる。
思ひやりと言ふ事が尺度計を使った事になる。之が尺度計の使ひ方。
患らった事のない人に病人の思ひやりをし様としても尺度計がないのだからわからない。すべてを計る尺度計、之は自分の心を標準にして運ばねば計る事は出来ぬ。自分の心で人の心を計って行く尺度計。それを無の尺度計。と言ふ。だが心で心を計って居ては詳しい事はわからない。肉体と心の尺度計だったら一分計、五分計。一寸計だとわかる。ところが一寸計では何分何厘のこまかいものはわからず。故に必要なものは全度計。之には二寸計を用ゆる。二寸計に今度は反対に目盛をこまかくする。一分の十分の一まで。
二寸が四寸六寸八寸尺。之を魂魄一体の尺度。五分計一寸計では心意の尺度。一寸計二寸計は魂魄一体の尺度。魂魄霊はすべて気体である。空のもの。之は便宜上わけた丈で一つのものである。たましひは中心で、それが二分されて魂魄となりと言ふ風になっている。気の上から言ふと一つのもの。そこで必要となるものは円盤計。
之は円周、その目盛が三百六十度になり、之を九十度にわけると、四、九、三十六で破壊分解融和組織の四つにわけられる。
こうして計って入ったのが易学の天体観測法になって居る。普通は一尺は百分だが、円周だと三百六十分出来る。之を九十度に分ける。それを中心何(?)行くと四十五度の角度にとると八になる。破壊分解融和組織を二つ。之が易の乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤が出来る。中心になった所に又一つの円を描くと中心ができる。その中心を一白二黒三碧四緑五黄六白七赤八白九紫の九星が完全に出来る。之は暦にあり、四柱の法と言ふ。八つの複数単数に二つを加へて十二、之を二つで二十四時。この二十四に十二を加へて三十六、三百六十度。之ですべてを計算する機械にしていたが、そろばんが出来たから算木も筮竹もいらなくなった私達が教へるのはこんな事ではない。
気を計る事を考へる。

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