こだま会講演日記    第七十三回   坂本通博 筆記

十二月十五日


世の中の事を正しく判断するには三つの事がそなはって居なければいけない。之は宗教でも何でも三つのものが備はって居ないといけないと言はれ居る。詩や和歌を作っても天地人、草正行等、人の名前を付けるのでも天地人の三者が揃はないと付けられない。
簡単に迷信盲信と片付けて居るが、独化の三神、仏法僧、三味一体(キリスト教)等皆同じ。
仏教の三密具足と言ふ、これは地球上の世界、相対の世界。之を天界より見れば三満一欠の世界。゛欠゛逃げ道。即ち地球には逃げ道あり。
一プラス一は二、二プラス一は三と言ふのは易。
三味一体と言ふ事、之は法。この法則が易の算数法。之をうまく加減乗除して正しい答へを出すのでないと易でない。
陰と陽、昇る下る、裏表
人を(見るべき対象物)中心としてその陰と陽とを見る。
九星=寸計
エト=五分計
十二支=一分計
 この三つを合わせてうまく加減乗除して行く。
 そうすると一つ足りないものがある。
加へるはかける事になり、引くは割る事になり、帰する所は加減になる。
それで足りないものの補ひとして霊を持ってくる。霊は零に非ず。
霊は0に通ず。ゼロを数に加へる事に法はととのふ。0を計る尺度計がいる。
0は判断。人間の考へをもたす為の材料。
之には法あり。密教真言の法に九字あり。之が霊を計る尺度計。
之は易者は用いて居ない。九字を尺度計に用いる事は慈音も知らない。僧は印を結んで九字を切る。之は妖術、魔法の様に思ふだけであるが左にあらず。
之の四つが伴ってはじめて易はなりたつ。
九字
臨(支那では岩と言ふ意)  臨・兵・當・者・皆・列・陣(陳、どちらでもよい)・在・前


臨に対して一白  兵に対して二黒  當に対して三碧  者に対して四緑
皆に対して五黄  列に対して六白  陣に対して七赤  在に対して八白
前に対して九紫
と合わせて行く。之で九星と九字との一致を見る。
かくして全体に通ぜしめる事が出来る。
人間の迷ひ、心の迷ひの苦を切るんだと言ふ意味で九字を切ると教へる人もあるが、之は一つの尺度計。九字は陽数、三の自乗。
四は陰の極点数、二の自乗。
二と三、之に一を加へた六。六数は陰数。六を二と四に分解してかけると八数。
人間界に対する陰陽を使ふために八と六を用ゆ。
八と六は人数(六=陰 八=陽)
自然の陰陽は九と四。人間の事をいろいろ計算するには(六ー陰、と八ー陽)として計算す爻る。之は五分計。
九星と九字とは一寸計。六と九との数を五分計。
六を陰として易の算数学で使ふ。   
四と➡六、八➡九で人間の方の数。


陰の爻(コウ)が六 陽の爻が九
初六  六二  六三  六四  六五  上六  陰爻
初九  九二  九三  九四  九五  上九  陽爻


泰岳貴尊講話


 皆は何の為に地球上に人間があるかを考へた事ありや。
 皆の働くは食ふために働くは多し。之は働きにあらず。
 唯働いて居る。結果が楽しくてはじめてはたらき。
 食ふ為丈ならあくせくする事もあるまい。野放しの犬も食っている。
 神様が或時一人の人に使ひをやられ、何になる事ぞとすべてを考へ居たる人を召された話。いや神になって何になる事ぞ、と言った人の最後に、ああそうか、なるほどと言って神の前にひれ伏した話。(この人間が神になって何になる事ぞの話は未知日記に二度出てくる)
 何もならぬものを何故神は作ったか。

 人間の心は四六時中一秒も休まない。いつも動揺している。だから夜寝て居ても夢を見る。  


**爻とは、易の卦を構成する基本符号/長い横棒(陽爻)と真ん中が途切れた横棒(陰爻)とがあるなどの意味をもつ漢字。4画の画数をもち、爻部に分類される。日本では不確定レベル の漢字とされる。
 爻(こう)は、易の卦を構成する基本記号。長い横棒(⚊)と真ん中が途切れた2つの短 い横棒(⚋)の2種類がある。経では前者を剛、後者を柔と呼ぶが、伝では陽、陰とする。

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