未知日記講話集   こだま会講演日記    第五十四回   坂本通博 筆記

五月二十六日


私共の同行者には百歳、二百歳まで生きるのは多い。中には五百歳まで生きる人もある。
修行のつんだ人が何の為に長いこと下界に宿をかりて居るのか、
天界の事を知りすべてがわかったらそんなに長く修行する必要もなかるまいに、天界があるなら行けばよいに、それをしないで下界に長く居るのを見ると、やはり下界が恋しいのかしらと考へるも無理なけれど之にはおおいに意味あり。
人々の考へとは全く異なる修行あり。つまり三百年五百年の間に、世界の人類に送って居る無の働きの力を以て導いている。事実自分で体験しながら後進を導き、又無の建設をして居る。寒ければ暖をとり暑ければ冷を求む、是は自然に似て自然にあらず。
寒さも暑さも自然、是に耐へる生活に鍛えて居るとかなり永く生きられるもの。
易では八十歳を天寿と言ふ。百歳も生きるは長寿と言ふ。八十までを易では一巡として居る。物指は易の通算器。修行者は錫杖を使用す。是は一丈あり、百に刻む。
昔のさしはくぢらに近い。カネは八寸。一尺の音を基音として音を計る。


易学の話
人間の一生を一尺として計算する。
天の配剤、一尺を五つに分ける。つまり二寸づつ。初めの二寸、破壊。次の二寸(四寸まで)
分解。次の二寸(六寸まで)融和。次の二寸(八寸)までを組織。次の二寸(一尺)までを結果。是天の配剤。組織は八寸(八十分)。八十年は人間の完成期。八十歳で人間は完成す。百歳まで生きれば余命を楽しんだとする。八十年苦労して神からの報酬として与へられた二十年。

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