未知日記講話集   こだま会講演日記    第四十七回   坂本通博 筆記

四月十四日


彼は信じられる人、信じられない人と教へられて、信ぜられる人の事はすべて信じ、後者はすべて信じないのが人心。
かかるものを当てにせず、その事柄を見究めて正しき事を信ずる様にならねばならぬ。
人を信じる様な事をせぬ事。之は修行上大切。
自分の魂と自分の心といつも相談しあって為すのでなければ本当の信仰にならぬ。
例へ悪人にも正しき事はある。
人に謗られて、あの世話をした人にそんなに言はれるわけはない等と考へず、それには何か原因がなければならぬ。だから謗られた事柄をかみわけてその事柄が当不当に拘わらず、それに腹立てず、それを神の導きの声として修行の材料とする。
腹たてると心に傷つく。そうすると魂にも傷がつく。
人に騙されて損失があっても之は己馬鹿にあらず。
すべて神が、自然がかく為さしめと考へること。
魂と相談の上で「腹立てるべし」となったら腹立てる事。
人間にはすべて魂あり(白痴にも)。他のものにはない。
動物に魂を有するもあるが之は少ない。
腹立てたり怒り悲しむ心(心を外にむけたるなり、之心に傷つく)
を明らめ、物事を善意にとる(内心に心を向け、玉を磨くなり)
慈悲心はすべてにわたらないと玉全部を磨くにあらず。
誰彼をあはれに思ふは玉の一部を磨くなり。一本の草にも及ぶ慈悲なるべし。一人の行ひが万人に通ずる故に一人を大事にする。


泰岳大師の話
「魂とは何か香の匂いは好きだと言ったが、香は魂と同じである。お香が一個一個皆魂と同じ。
そしてそのお香をそのままにして置いては匂いはない。見て御香だと言ふことはわかるが、どんな匂ひかわからない。
御香を火に入れるは魂を肉体に宿したと同じ。之は魂が成長して来た。火が消えると香は匂はない。火がある間は香はくすぶって匂ふ。くすぶってしまへば人の関係はたえる。
この匂ひが鼻に入って心に感じてからの後が、この感じ方がちがふ。好む人、嫌ふ人、無感覚の人あり。
もし毒が匂ったらどうなるか・・・・・
人間が悪い行ひをするは毒ガスと同じ。よい匂いを出すのは人の心を清むる。
皆の人間が明るくなり、人に良い感じを与へる様に願ふ。
平素の行が誰に対してもよい感じになる様、にこにこ明朗で美しい心になる事は、私の望むよいお香をたいてくれと言ふ事である」


きれいな心で魂を磨く。
種々様々の事柄に対して心が動く、之が煩悩。之は取れるものでない。
この毒を薬にして使ふ。それは心の動くのを善意に美しく考へなほして考へる。そして魂を磨き光明を光らせる。
之が煩悩即菩提である。
俺は頑固だから死なねばなおらない等と言ふは、我まま気ままの傷である。
あの人とは気が合はない。これ動物性。
合はせ様とすれば合ふ、之は人間性。
良い匂ひと思ふ、悪ひ匂ひと思ふ、之は迷ひ、名香は名香としての価値を知る程の人間になれと言ふなり。
人間性本能と動物性本能との差異を見わける事。
人間性を知らないからあの人は好きだ嫌いだ等考へる。
悪人はあわれむ心になる。皆それ等は動物性で心をうごかしている丈である。

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