未知日記講話集   こだま会講演日記    第四十六回   坂本通博 筆記

三月三十一日


人間の一生は旅して居ると同じで、各人その歩む道は定まっている。慈音には慈音と言ふ所に行くべき道あり。四郎には四郎の、中光には中光の道あり。何調に行くには何調から何を通ってと言ふ風に定まって居る。その道には危険な山谷あるなり。人はそれを知らない丈である。怪我も誤ちも定まったものである。之を早く察知して避ける為に修養修行する。一日無事ならば安らかに暮させて頂いた事に感謝する。神も仏も問題にせず、大自然がそうしてくれたと感謝する。
この感謝の心が口先でなく、心の底から湧き出た感謝。これさへあればどんな大難にあっても驚く事も傷つけられる事もない。
之等はその人々に与へられた道、通路である。定められた山谷の道であるからこの一日一日の感謝があればすべてわざわひはなくなる。
おきくばあさんの如き人には大難は犯す事がなくなる。
難を難と思はないのである。
恥を恥と思はねば、恥をかいた事がないと言ふに同じ。
どんな事があっても自分の信じている大自然にまかせる。自然がそうして来たのだから之にまかせて気にやまない事。
すべては自分に対する戒め、教へであると思へばよい。
私の行いはまちがっておりませんかと言ふ心を常に持つ事。
物に直面してそれが過去になった時はじめて、自分が苦しみにあってはじめて樂しみがある。苦しまずに樂しみはない。
人間一代には八十一遍の大難を越さねば本当の極楽は得られないのだと言ふ教へもある。
人間には三蔵法師の八十一回目亀の難の如く、思ひもかけぬ時、思ひもかけぬ所から難が来るものであるが、正しい道を歩んで居ればいつも切り抜ける心(事)が出来る。之は誰が教へてくれるかを考へよ。大自然は肉体に大事な宝を与へている。之は魂である。
これにすべてをまかせる事。之を知らず心丈を苦しめるな。
手をこまぬいて思案している。之が即ち魂にまかせている事である。
この時こうしたらよいと気付く。之は魂が心に教へてくれたのである。
あなたまかせ、のあなたとは即ち、魂。
心の奥に鎮座している尊いなにものかが即ち魂。
白痴にも魂あり。心乱れて居ても何かの時とんでもない利口な事を為す事あり。良心 ー魂(まあ言はば良心は魂と考へてもよい)
良心にまかせて人間となる。
良心は呵責をせず、いつも良心にたすけられて居なければならない。
それには良心にまかせて、早く良心を見つけていつも之に従ふ。
然すると良心はむくむくと頭を持ち上げてすべてを教へてくれる様になる。聞いたり見たりで、見落とし聞き逃しては駄目。
悪い事をしたなと気づくは魂が居るからだ。何か良い考へはないかなあと考へる(感じを変る)この時無言詞を以て言葉に変へて教へてくれる(之魂の力)
いつも心を穏やかにしていらだちやそわそわがなければ、どんな事が目前に起こってもすっと眼の前をとおりすぎる丈で心に影響がない。これ即ち「平常心是道」である。

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