未知日記講話集   こだま会講演日記    第四十三回   坂本通博 筆記

十一月二十五日


焚く程に風が持て来る落葉かな。この古句は今日では禅の公案となっている。
(古池やかわず飛び込む水の音)の句は古池に味あり。
人間は動物性故に欲の上に欲あり。
たいてもたいてもたき切れぬ程欲あり。貪欲。之が取れない故に掃除しても掃除しても後から後から落葉が出来る。然しこれ丈の意味ではなく、神の恵みはたく程あるのに之を貪欲の心から神に感謝を知らない。
神から、天から頂くだけを有難く頂いて置けばまちがひはない。それを浴ばってかき集めて、仕舞って置く故にまちがひが起こる。
物質から考へるから貧富の差より神を怨む。之動物性。
神の世界はかかるものにあらず。不公平はない。
生涯ふところ手して暮せる所もあり。働いて働いて暮す野老もる。是等は分による。
之等は天界の様を一つ一つうつしてあるのである。(世間の様は)
幸福と言ふものはこの差と関係なくある。
この世の様は皆天界から続いて居る。鉢植えにされて珍重されると同じに、之に肥料をやると枯れてしまふ。(貧者の例)
早く人間にならねば何の為に人として生きたのか、人間はどこが有難いかがわからない。こんな間は人間ではない。
人とならねば人はわからない。
人間は自分からさとらねば、人に教えられてもああそうかで聞き流してしまふ。
聞いて覚へて知って居る丈の信仰では光明は輝かぬ。
字引を見ているのと同じ。
真の信仰を得れば一つの念仏も百万べんに相当するものがある。
信ずる力は自分からわき出でて、本当に腹の底からわき出るものでないといけない。
たましひと心と肉体とに分けて考へる。
鳴かぬならころしてしまへ ほととぎす。 (肉体)
鳴かぬなら鳴かしてせうほととぎす    (心)
鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす   (たましひ)
鳴くまで待とうの心が本当に腹の底から出來たら人になったのである。
役に立たぬものだ、捨ててしまへと言ふは肉体。
廃物利用は心の智慧。
鳴くまで待つ心は(魂)
物を殺さない、粗末にしない。
慈悲は憎みなし。すべてを愛す。
すべて神は慈悲にして憎しみなし。
憎しみなき愛、絶対愛、絶対慈悲なるべし。
罰すると考へるは皆自ら種を蒔いて自ら刈るなり(因果)
すべて天の自然には正しい道があり、その道を歩まず外へそれるから色々な事が起こる。之を戒め、道しるべとして正道を歩むべし。
こんな種をこんな実を結ぶと言ふは神のおきて(法)
本当の慈悲心(まごころ)で交われば、とんなものでも化せられる力となる。
毒蛇も毒とならず。
慈悲の力は霊から来る。憎しみを含まぬ愛の力は魂から。
他の愛は心又は肉体。
煩悩の火をもやす間はだめ。煩悩はいくらたいても風が持って来る程、絶へはしない(欲心)
欲心をおこさなくても程よく神から塩梅されている。
神に、魂にまかせる。余計な事は考へぬ事。日々の働きをなし、その働きの中から悟るべき事を見付ける事である。人間性になってしまへば御飯におこげ等は作らぬ。
「心をこめて物事をなす」
神の道は自由自在。何事にも気をつけて居れば悟りの材料は沢山ある。
神は命令しない。だがこうしてらこうなり、ああしたらああなると言ふ法はある。
神は悪い事はするなとは言はない。
自然に自分に与へられて来るものは有り難く頂くべきものである。それ以上求むるは欲心である。
慈悲と愛の心を施すべし。これはこみ上げて来ては施しても尽きない。之が本当の施し。

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