未知日記講話集   こだま会講演日記    第四十回  円海大師講義  坂本通博 筆記

十月二十八日 その一


物には中心あり。中心を失ふと四分五裂になる。
中心ありてすべてを補佐す。為に物は育ち発育す。
人間は大事な中心を忘れておろそかにして居る故に迷ひが出来る。泰岳師はつまりいつも中心を失わなかった。即ち中心は、まんまんさん。
中心を失った人程気の毒なものはない。中心は一人一人にあるたましひ。これを虚ろにしているから不平不満が出る。
たましひを失ふなと言ふは中心を失うな、中心を虚ろにするなと言ふこと。たましひの中心は霊。霊なる中心に魂がひきつけられている。霊なる中心は何か真中にあるものを考へやすい。
然し霊は枝葉にならず。全土(宇宙)に霊の中心は広がる。
太陽も月も地球も中心がこわれると亡びる。
霊はすべての中心。
人間は霊に帰すると言ふは、中心の霊に引かされて行くこと。
行者達は霊に順応し、霊に和し、霊の中心に帰りたい為に山に入って行をした。(行の法力を得るためにあらず)
光明論の中に大智順歩と言ふことあり。これを本当に理解したい為に山に入った。之には順視法、逆視法あり。これは一般にはわからない。
全宇宙の真相をきはめて人間とは何かと言ふ事をきはめるための行。
キリストが死の前に泣いたのは、人に天界の事を知らせる事が出来なくてそれが不憫で泣いたのである。宗教は宇相。これは党派の如きもの皆一理あり。これはうそから出たまこと。
宇相は虚偽にあらず。然し実相にあらず。空想から出たもの。
この書も天界の実相を語るが世人は之を解するあたはず。故に宇相となる。
然し人々が進化して後、之は実相として理解できる。
魂が見つかり之に霊の力が働いて中心に帰ればこの宇相が段々に事実となって現はれて来る。神は人に不自由を与て居る。これは中心を失わせないため。あなたまかせにする。

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