未知日記講話集   こだま会講演日記    第三十九回   坂本通博 筆記

九月三十日
厳戒の辞を称えるに際しての注意点


(こだま会会員 高橋氏死去)
言葉はすべて人間同志の符牒
うそでもよいから、ありがとうと言へと言ふは可か、不可か。
これはたましひを呼び起こす方便である。
ありがたい、ありがたくない、之は何に対してありがたいのかわからない。
子供に強いて頂きますと言はせる。之に修養がある。
この符号をいつも言っておれば段々習慣性になってつもりつもって大きな働きをする。
食事の時にありがたいと言へば、それが食事の時たましひに伝はって行き、それが帰って来て本当に感謝の心がおきて来る。
人間は希望を失へば生きて居られなくなる。分をわきまへて不平不満の出ない、感謝するものには感謝する。不動の心にならねばならぬ。すべてを知る丈では駄目、悟らねばならぬ。人の行ひには、善事を為せばそのすぐ後に悪い事がついてまわっている。よい事ばかり、悪い事ばかりの事はあり得ない。
御都合主義では駄目。ほめられてうれしくなる様な修行で駄目。徐々に
ありがとうをつむ様につみ重ねて居れば、いつか潜在意識を呼び出す事が出来る。
自分に魂のある事をいつも忘れず、互いに魂と話し合ひ、感じ合ひ、たえず行ふこと。
心持が常に平静でさへあれば、それで神と話をしているのと同じ。
神には言葉の符号はいらない。すべてをわかってもらへる。信仰を得るための暗示作用の具としてチ シューがあるだけである。厳戒の辞は念仏のかはりにも何にでもなる。すべてに通じる神への符号。

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