未知日記講話集   こだま会講演日記    第三十七回   坂本通博 筆記

 世の中に種々様々の宗教あれど、こだま会程大なる力もて育てられ居る会は類稀なるべし。其は余りに他の宗教とかけはなれたる組織なるが故に、会員は是を軽く見る傾向あるは、実にあさはかなるもの共なりと云ふの他なからん。平凡なる如く見えて、他の宗教より百倍千倍もすぐれたる指導を受け居る会員こそ、実に幸福者なりと云ふとも敢て誇大の言にあらず。金品財宝を徴収して会堂を広くし、世間の眼を惹く如き組織ならば、却って信仰者は踵を接して集ひ来らん。然して利する者は誰ぞと考ふれば、実におろかしき事ならずや。慈音にして一般宗教者の如き振舞をなすならば、泰岳も円海も席を蹴りて立ちかへるならん。泰岳円海は百万の集会者より、正しき一人の信者にて可なりと思ひ居るが故に、慈音をはなれざるなり。
 されど無言詞の力は耳に聞えず、眼にも見えざるが故に、修養の尺度は如何なる程度迄伸び居るやすら知らざるべし。泰岳円海は是をよく知る。会員には是を知らざれど現今の会員はその力日増しに加はりつつある事は事実なり。唯彼等は何事かに対して一種の奇跡を求め居るが為、解することを得ざるのみ。僅少の奇跡などは取るに足らず。斯るものを求めんとなす間は、迷ひのみ深くして信ずることあたはざるが故なり。題目に掲げたる如く疑ふ心は信仰に入るの門なるが故なり。されば会員諸子は唯何事も考へず、泰岳円海の力を信じて拝みをなし居らば其にて望は達せらるるなり。斯る簡単なる宗教は何処にかある。平凡なる教への如く見えて、決してあやまたしむることなく導かれ居ることに感謝なし居らば其にて可なり。唯々拝む心を養ひて、一心に迷はず、泰岳円海の足あとを慕ひて、背後より歩み居らば其にてよし。急ぎて他の事に惑はさるる勿れ。急がば廻れと云ふ比喩もあるなり。急ぎて近道をなし居らば、却って他の道に迷ひ入るの他なかるべし。泰岳円海を見失はぬやぅ用心肝要なり。是はこだま会の会員に教ゆると同時に、此書を読む者にも此心がけにて読み居らば可ならん。


九月二日


人間の魂は神通力をそなへている。之を眠らせている。
之を呼び起す為の修行をなすなり。人通力は神通力に通ず。
何事を聞かれても人に相談するのでも教へらるるのでも、その時もし神様だったら何とお答へになるのだろうかと考へること。
これを忘れぬ様に。
もし神様だったら何と考へられるだろう。
もし神様だったらどうなされるだろう。
之には魂が答へてくれる。
もし神様だったら、と、心を交はらせること。
親に背を向けるなと言ふは親を片時も忘れるなと言ふこと。たましひを知るまではむづかしい。その後は楽である。則ち後はたましひと霊とのつながり。
親を尊重することが大事。
心とたましひがいたづら事になってはいけない。だから神様だと言ふのである。つまりは神様の力があること。
神様だとして自分の心を仕へさすのである。もし神様だったらと、片時も忘れることなく続け居らばよし。
もし神様だったらと考へるのは神様を呼ぶ法力。

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