未知日記講話集   こだま会講演日記    第三十三回   坂本通博 筆記

六月十日


 病気により脳の欠陥からいろいろな幻影を見る人がある。これは分裂症で狂人の部類。脳の分離症。之を神からと誤認する人がある。
形のないものが見えたり、人に聞こえないものが聞こえる様なな事はないはずである。之は魔道。自得見性して覚らねばこの理はわからない。
千里眼の如きは自己催眠で自分が無の境地になったもの。之は人間にはこの如きはたらきはそなはっている。
日々の世渡りを神様と一緒にしているのだ。すべての事を神様がして下さるのだ。私はその手伝ひをしているのだと考へてする事。とやかく迷はぬ事、顔をそるのも神の命令で為すのだと思ふ事。神信ずる時は神と一緒、仕事をする時は神を忘れるではいけない。
仕事は仕事、信仰は信仰と二道を歩くからふみはずす。すべてを神様と一緒にしていればよい。煙草を吸いながらでも神様と一緒だと悟ること。
失敗するのは神様と一緒に居ないからだ。
あやまちは神に背をむけた事。
あやまちをなほすは神に帰る事。


六月二十四日


テッシン貴尊
ミキョウ先生かげにあり。セイキョウ先生が話される。
円海になったりミキョウになったり、之は即ち心と魂の相違あり。
かげにミキョウを伴って居る時は、円海のかげにミキョウと言ふたましいが伴って居ると考へこと。即ち(円海は心、ミキョウは魂)
古神道に三種の神器と言ふ伝説あり。こんな事を言ふのは日本の宗教だけである。はたして天照大神が三器を授けたとは信じられない。それは一つの教への参考品として伝はったものではないかと考へられる。(宮中のは知らず)
まが玉
鏡は光明。人間のたましひの威徳を表すもの。
つるぎは邪を亡ぼし、正を生かすつるぎ。
かく考へる時、三種の御宝の意義がわかる。
日々心ばかりをはたらかている。これでは人間とは言へぬ。
他の獣類には心がたましひとなる。

たましひがあるのは人間だけ。
心ばかりを配っている。即ち心配。

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