未知日記講話集   大霊界  こだま会は他の宗教よりも百倍千倍も優れたる指導を受けている  教主寛大講義

教主は斯くの如く仰せになって居られる。


 世の中に種々様々の宗教あれど、こだま会程大なる力もて育てられ居る会は類稀なるべし。其は余りに他の宗教とかけはなれたる組織なるが故に、会員は是を軽く見る傾向あるは、実にあさはかなるもの共なりと云ふの他なからん。平凡なる如く見えて、他の宗教より百倍千倍もすぐれたる指導を受け居る会員こそ、実に幸福者なりと云ふとも敢て誇大の言にあらず。金品財宝を徴収して会堂を広くし、世間の眼を惹く如き組織ならば、却って信仰者は踵を接して集ひ来らん。然して利する者は誰ぞと考ふれば、実におろかしき事ならずや。慈音にして一般宗教者の如き振舞をなすならば、泰岳も円海も席を蹴りて立ちかへるならん。泰岳円海は百万の集会者より、正しき一人の信者にて可なりと思ひ居るが故に、慈音をはなれざるなり。
 されど無言詞の力は耳に聞えず、眼にも見えざるが故に、修養の尺度は如何なる程度迄伸び居るやすら知らざるべし。泰岳円海は是をよく知る。会員には是を知らざれど現今の会員はその力日増しに加はりつつある事は事実なり。唯彼等は何事かに対して一種の奇跡を求め居るが為、解することを得ざるのみ。僅少の奇跡などは取るに足らず。斯るものを求めんとなす間は、迷ひのみ深くして信ずることあたはざるが故なり。題目に掲げたる如く疑ふ心は信仰に入るの門なるが故なり。されば会員諸子は唯何事も考へず、泰岳円海の力を信じて拝みをなし居らば其にて望は達せらるるなり。斯る簡単なる宗教は何処にかある。平凡なる教への如く見えて、決してあやまたしむることなく導かれ居ることに感謝なし居らば其にて可なり。
唯々拝む心を養ひて、一心に迷はず、泰岳円海の足あとを慕ひて、背後より歩み居らば其にてよし。急ぎて他の事に惑はさるる勿れ。急がば廻れと云ふ比喩もあるなり。急ぎて近道をなし居らば、却って他の道に迷ひ入るの他なかるべし。泰岳円海を見失はぬやぅ用心肝要なり。是はこだま会の会員に教ゆると同時に、此書を読む者にも此心がけにて読み居らば可ならん。


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                      教主寛大講述


 気圧の関係によって汝等の肉体に及ぼす影響は、学理にては未だ研究し尽くしたりとは云ひ難し。病めるものは気圧の関係を直接に感ずるによって、天候の如何をも知ることを得るなり。健康者には是を予知するもの少なし。是等の関係を唯外部の方向にのみ任せて、人類とは全く関係なきが如く放棄なし居ることは、医学上最も慎むべきことにて、我等に言はしむれば医学は是等の点に留意して充分研究すること肝要なりと思ふなり。又事実然せざれば病者は救はれざるなり。たとえば今日の如く医学が広く用いられて衛生々々と喧(かまびす)しく叫ばれ居るに不拘、流行性何々病とか云へるものが猖獗(しょうけつ)をきはめ居るは、是何に依るかを研究せざるべからず。唯黴菌作用とか称し居れど、その撲滅法に対して未だ明らかならざるは、是学者の研究の方法が誤ち居るによってなりと云ふも過言にはあらざるなり。仮に日本の如き狭隘なる国土に於て年々何百万と云ふ人類が増加し居らば、餓死者の多く出づることは云ふ迄もなからん。是を飢えしめざらんが為には、種々様々の方法を構ずるのあまり或は争ひ、或は盗みするが如き罪を犯すに至るは是非もなきことなるべし。されば産児制限とか称して人類を減小せしめんと計る如きは、当を得たる方法とは云ひ難からん。さりとて狭隘なる処に人類を繁殖せしむることも亦適当なる法にもあらず。されば国土を広くせんがために他の国土を侵害する方法も択ばざるべからず。果して是等は正しき方策なるや。是を我等に云はしむればすべては逆法なりと云ふの他なきなり。汝等諸子は大自然の法則を知らざるが故なり。

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