覚者慈音1655      未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1655
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇     
第六十五      霊と魂について   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2020・01・04


 地球上の空間に於て清らかなる所はきはめて狭し。他は悉く何かの汚れ多きことを知らば、人間の心の汚れの多くして清め難きことは、是によっても察することを得るならん。故に間断なく拝みせざれば心魂は浄めらるるものにあらずと覚りて、たえず拝みをなし霊の徳に従ひ、然してその徳の現はれによって神を知り、神の世界を見る清らかなる眼(まなこ)を得て、天の如何なるかを知り得るにあらざれば、真の喜びは来らざるべし。悔ひ改むると云ふも拝みの徳の現はれなり。是悪魔に遠ざかりたるしるしなりと知らば、自づと己が身の高く上げられ居る尺度は、従って上昇し行きしことに気附くならん。一度拝めば一度々々尺度の目もりを昇り行くと知りて可なり。然して他人と対照して低きものあらば是を導き、共に手をたづさへて上昇の一途を辿ることに努力せよ。是も即ち拝みなり。人を導かんとせば正しき拝みをなして、真の慈愛真の慈悲心にあらざれば導き得るものにあらず。導くと云ふも是拝みなり。慈悲の心を起すと云ふも是又拝みより出づ。是等の点に着眼せば、すべての事柄は習はずとも自づと自得することを得せしむるは、霊の力を措いて他にはあらざるなり。されどあやまちたる拝みをなさば、却て心魂を汚すこと多し。故に拝みは正しくせずば却て汚れのみ多くなり、魔界に転落する憂苦を招く結果とならん。因より果に至らしむるにあらずして、却て中途因果の廻転を持続することとならば、所謂人より人のたとえにて終りて、永久人間より度脱すること難し。心せざるべからず。

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