覚者慈音1656      未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1656
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇     
第六十六    汝のすべてを霊にゆだねよ    
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2020・01・04


 世人は自然の大意を知らざるが故に、稍もすればあやまちたる行動をなし居ること少なからず。其が為めに或時は自然を克服したりとか、征服したりとか称して、手柄顔をなし居ること多かるべし、自然に従ひて自然の力を得て事の成就せしことを考へし人は少なし。自然の威徳によって何かの成功を見たることすら、是を克服したりとか考ふる如きは即ち自然を逆に見たる故なり。世人の考ふる如き自然とは微々たるものにて、正しき自然を認識なしたりとは云ひ難し。正しき自然を知らざれば人生の尊さを知ることも難く、又人生の如何なるかをも認識することあたはざるべし。現今の世相を見るにすべては通貨によって世を治めんとはかり居るは、是又自然の法を知らざるが故なり。現在の世界人類の悉くが金に依て縛られ居るにてはあらざるか。金は如何に尊くとも食物なくんば、金にて腹を満たすことは難からん。千万金懐中にありとも山中にては何等効果はあらざるべし。衣服に於ても住居に於ても亦同様ならん。とかく世人は金に縛られて人命をも失ひ、或は他をも傷くる如きは是即ち金に縛られ居るが故ならん。通貨は自然にあらず。通貨によって何事もなし得られ、或は自然をも克服するなどとは以ての他の考へなるべし。世人は自然を知らず、自然をあやまつが故に常に茨の道をふみ迷ひて、雑草に足を縛られ身動きすらならざるは、是自然の横道を歩み居るに依って肉体は縛られ、心の自由すら失ひ居るが故に憂苦の悩みは失せざるなり。親は子の愛に縛られ男は女の愛に縛られ果は生命すら失ふに至る等々、是自然の横道を歩むによって斯る束縛(なわめ)の悩みを己自ら求めて受け居るなり。自然の大道を歩みなば自由自在大手を振って歩むとも、何等の障碍を受くるものにあらず。自然を逆用すれば自然の縄に縛られて自由を失ふ。自由を得んとして却て束縛を自ら求むる如きは、即ち自然を逆用したる故なり。
 先にも語りし如く自然とは即ち霊なり。正しければ天に昇り、逆用すれば地に落つ。世人は自然を逆用して転落すれば是は運命なりと諦むる如きは、正しき自然を知らずして余儀なき諦らめに終ること多し。恰も山中にわけ入りて道に迷ひ、日を暮して野宿すると同様にて、ふみ迷ふは道なき処を歩む故なり。もし食尽ればその処にて餓死するの他なからん。死に臨みて是は運命なりとして余儀なき諦めをなす如きは愚も亦甚だし。世人の日々の行ひはすべてこの例に見る如きことをくり返へし居るにてはあらざるか。深く反省するの要あらんと思ふが如何 !

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