覚者慈音1650      未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1650
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇     
第六十四      因果の測定について   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2020・01・03


 一夫多妻の如き悪習慣、或は一妻多夫の如き悪習を恣にすれば、完全無欠の人種は残らざること是又当然なり。一時的の肉体の性慾に迷ひて人根の正しき行ひを知らざるが故に、斯る愚なることを敢てするに至るは嘆はしき事ならずや。又惜みても余りある事と、我等は慨嘆するものなり。是は日本に限らず各国々に於ても同様のことなるべし。兎に角人は其時々に対して一時のがれの行ひを敢てして結果を考へず。死すれば其にて終るとのみ誤解なし居るによって、生存中さへ己樂しければ死後など考ふるの用なしとて、我儘気儘の行ひをなすに依って、子孫の繁栄は望まれず、益々悪き劣りたる人種を残し居るにすぎず。よしや死後魂のことなど別個の考へとして、子孫の事に及びて考慮し見よ。然る時は我今斯る境涯なりとも、すぐれたる子孫を残して終らんと云ふ考へは浮び来るにてはあらざるか。斯くしてこそ人と生れて人の道を果したりとは思はざるや。世人は己に与へられたる魂を見ずして、終り居る人は多し。人間に生れて己を知らずして終るは遺憾とは考へざるか。魂を知らざるが故に、魂の行くべき処を知らざるも亦理なるべし。魂を知りて後にあらざれば、その魂の結果は知るよしもなし。故に先づ魂を見出すことに努力せざるべからず。すべての動物は魂ありながら魂を知らず。人も亦動物に終らば、魂を知らずして終らんことは悲しとは思はさるや。心のつながりは即ち魂なり。魂のつながりは何なるかを工夫し見よ。仮に人間一代を百として計算する時、幼児にて終るもあれば又百を越して尚存するもある如く人命を計る尺度なかるべからず。現在の医学者は人命測定の法に成功したとて吹聴なし居れど、其は肉体的によって計算なし居るにすぎざれば、所謂一方的にて正確とは云ひ難し。是を完全に測定するには精神的より肉体的に計算して、更に肉体より精神へと両者一体化せしめて計らば十中の五六迄、推理することも至難にはあらず。されど是が百発百中の計算は、魂と精神更に肉体と三味一体化なしたる方法にて計算するにあらざれば、正しくは測定すること至難なるべし。是等は肉体中心に計算する方法なれど、魂を中心にして計算するには、霊と魂とを一体化せしむるにあらざれば得ること難し。故に身心魂霊或は霊魂心身の四大原則にて測定する方法は未だ科学にては成立なし居らざることは誰もが知るところならん。この四大法は後にセイキョウ貴尊が詳細説明せらるると、我等は知るによって此書には省略すべし。されどこの四大原則にて計算なすことは難きにあらずと云ふ説を残して法は貴尊によって学ばれんことを !

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