覚者慈音1649      未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1649
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇     
第六十四      因果の測定について   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2020・01・02


 余事は別として因果の道理は今迄述べ来りたる如くにて、悪魔の種子と雖も是を善導して育つるならば、或は善魔となるの法もあらん。さりながら魔は永久魔族にして正族にはあらざるなり。唯用法の如何によって其ものの結果が或る善に或は悪に適用せらるるのみ。魔族は永久魔族なり。神は何故斯るものを作り給ひしかと云ふに、みな其々宇宙の組織なすについて、是を適所適材として用いられ居るにて或時は、是を組織に応用し、又或時は、是を破壊に用いんがための具として、滅し給はざるなりと我等は信ず。さりながら無言詞界には、斯るものの必要なきが故に、一歩も彼等の侵入はゆるし給はざるなり。故に無言詞界には善悪邪正の区別はあらざるなり。人間性の任務を終りて魂階に入らば、たとひ肉体をそなへ居りても其は既に人にあらず。人界を度脱して新らしき魂階の人となりたるなり。人に生れて人の役目を果したるもの其にて因果の終末を告げたるにて、一歩魂階に足を入るれば其よりは魂階の人として新らしき育ちかたをなさざるべからず。仏教にては是を仏者の行と云ふなり。然るに世の中の人は、人に生れて人の任務を果さず。空しく動物性に終る人はきはめて多し。是等はすぐれたる指導者のあらざるが故に、人はその行くべき道を知らず、唯空しく光陰を消費するのみにて右往左往して迷ひ居るのみ。然して甚だしきは弱はきものは虐げられ、強きものは我意を振舞いて常に混乱の争ひのみ続けて、進化の道を計らざるは、所謂獣類界の様を見て己にひき比べて考へを廻らさば、人は如何なる道を構ずべきかは自づと察するを得るならん。世の中の人類は増加するに従ひて土地は開拓せられ行く毎に、猛獣などは自然影を没しつつあるにてはあらざるか。悪魔のはびこるは其以上にすぐれたるものあらざるが故なり。もし人間にして悪魔以上にすぐれたるものあらざるが故なり。もし人間にして悪魔以上にすぐれたる智識そなはりあらば、悪魔は自然影を没する理も亦理なりとは考へざるか。地球の面積は極めてせまし。三分の二は海にして汝等が住めるところはわづか三分の一なりと云ふにてはあらざるか。かかる狭き所に人類が繁殖して、永久死せずして増加し居らば果は住む所なきに至らん。神は是等をよく知り給ひて是に対して程よく塩梅なし居らるる不拘、現今の日本の如く産児を制限せよとか、或は人類増加の調節を計れよとか称して、神より授けられたる種族を絶滅するに至らしむれば、其時こそ日本は永久に亡び去るなり。所謂日本民族と云ふものは影を没せん。

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